[未校訂]元禄拾六未ノ十一月廿二日夜より地震之事十一月廿二日ノ夜
ル八ツ頃より大地震ゆり夜明方まて大地震三度其間少々ツゝ
ハ数もしれす同廿三日昼夜まて十八九度廿二日ノ夜初之ゆり
やう十九度ノ内ノ大ゆり初ノ地震ゆり候こと和田ノ海池尻ノ
方より海殊之外なり出家ノ前江浪入初ハ廿二日ノ夜明七ツ時
是も卯ノ年ノ浪のことくゑこ方江指込引塩大川のことく夜之
内大浪三四度夜明方ニ成リ段々海もしすまり申候老若なとハ
御宮ノ方のき可申仕度いたし候得共明方しすかになり申候
是も外浜ハ浪上り不申少はかり上り申候地震ハ廿二日夜ハ八
ツ時より同廿八日まて廿八日ニハゆり申と申者も御座候得共
ゆらすとゆふものも有廿七日まてハ極々ゆり申候廿二日廿七
日まてたひ〳〵数もしれすほとゆり申候伊豆之国下田より外
浦ノ湊家人共々不残浪にてつふれ申由大船損し申事大分之事
も聞へ申候江戸川ハ津浪上り不申由相州小田原御城地震ニ出
火いたし候由小田原宿より川崎か名川町家ゆりつふれ宿やと
まり□人共ニ大分しす中ニも小田原ゆりやうきつく聞へ申候
此節ノさたニ小田原七拾年以前も大地震いたし候由此度も小
田原ハ脇よりつよく御座候由武蔵国もゆり申由甲州同意(ママ)箱根
かし木道ゆりつふし馬ノ通なり不申かち越飛脚斗之由府中江
尻清水近達(ママ)家つふれ申ほとの事無御座当村なとハ浪ニきすか
い気を付申候末〳〵も地震ある時ハ海ニ無油断気を付地震な
らいちはやく御宮ノ方江のくへしよく浪くるものと覚可申事
同十二月廿八日右之大ゆりニ少かいなくゆり申候春ニなり申
ノ正月廿四日ニ廿八日之ゆりほとゆりも此節江戸大分ゆり申
由ニ御座候未ノ十二月廿二日之ゆり初より申ノ正月廿四日迄
ハ其内少ツゝハ毎日ゆり申候