[未校訂]和田村年貢状覚え書き其ノ一 元禄大津浪と和田村
加藤清志
二 元禄大地震(大津浪)
(前略)
さて、和田村自身について言えば、地震を直接伝える記録は
何も無い。然し、後年に至っての各種文書(例えば年貢減免
の歎願書)には、時折、元禄大津浪によって村が衰微したこ
とを述べているものがあり、元禄以前の繁栄をうかがわせる
ようなことばもある。また、豆州志稿が、和田村について「伊
東市世々之居城故、下田町・八幡町等、町数も頻る多く、武
具計り造るも一町有」ったと伝えているのも、かなりの誇張
があると思われるが、なんかの形で過去の栄光を反映してい
るとも思われる。
江戸時代を通じて、和田村は、この地域の中心的存在であっ
た。―特に商業活動の面で―と思われるが、元禄大津浪の影
響がどうあらわれたか。年貢割付状の面からそれを追求して
みたい。
三 その前後の割付状
元禄と、それに続く宝永年代を含めて、その前後約百年間
(一六八六~一七八五)、和田村は、周辺の村々とともに、小
田原藩大久保氏の支配下にあった。元禄・宝永年代の年貢皆
済目録は一通も存在しないが、年貢割付状は、次の○印の年
のみが残存している。他の年代に比べて、残存状況は非常に
良い方であるが、地震の年を含めてその前六年間が欠けてい
るのは残念である。
元禄①②③④5⑥⑦⑧9⑩111213141516
宝永①②3④⑤67
年貢の内容の概略をいうと、基本的には、田畑を中心とした
村の生産力を対象とする本年貢(本途)と、船役・山手役な
どの雑税(浮役)とから成り立っている。
本年貢の対象となる田畑屋敷の広さは、この一〇〇年間ほぼ
一定であるので、その年々の土地のようすと稲などの出来具
合を検査(検見という)して、年貢高がきめられる。また船
役は、その年々の船の数に応じて額がきまるが、他の税金
は、年に関係なく一定である。そこで年々変化する本年貢
と、船役の推移を見ると次の表1のようになる。
表1
年貢米(石)船役(文)
元禄179.827?
〃280.3625254
〃380.4605444
〃480.7315422
〃679.834?
〃777.6284095
〃878.704?
〃1073.1114655
宝永157.3611820
〃258.803?
〃454.1231319
〃554.227?
ブランクの六年間をはさんで、津浪の翌年が宝永元年である
が、以前以後の間に、数字の上で、はっきり一線を画してい
ることがうかがわれる。
さらに細かく見ると、津浪翌年の宝永元年の割付状には、
「申浪入」という理由で年貢免除になっている田畑が、合計
三反八畝二十七歩(約一二〇〇坪)ある。津浪のあったのは
未年であるが、その津浪のために収穫の出来なくなった土地
を、翌申年に認定したのが、「申浪入」と解される。以後数
年間にわたる「申浪入」は、元禄津浪による被害と見ていい
だろう。
四 船の被害
船についても、宇佐美に於て、「浜通りは軒並家を流され、
船にも多大の損害があった。」ということから、和田村にお
いても、船役が激減しているのは、津浪による船の損失が原
因であろうと推測するのが普通であろう。ところが、更に調
べて行くうちに、意外な事実に直面した。
船役については、年貢割付状の中へ一緒に記載される事もあ
るが、小田原藩では、別に「○年和田村船役可納割付之事」
という詳細な割付状が出されており、一隻ごとの船の大き
さ・持主・その船の税額・年度途中での新造や売買までが記
入されているのである。この時期の和田村分は、元禄234
710121316・宝永1346と残っているので、その概略を表
2で示す。
表2
船役金(文)船数廻船伝間船
元禄2525476
3544486
45422??
7409555
104655??
12373155
13282145
16166835
宝永1182035
3205655
4131935
694025
この表で見るとわかる通り、和田村の船は、元禄の大津浪で
一挙にへったのでは無く、何か別の事情で、年々徐々に減少
したのである。更に細かく、元禄十六年十二月二十六日付の
割付状(地震の一カ月後。前回までは、十一月下旬または十
二月上旬に割付状が出されている)を見ると、船の移動につ
いては、
一小廻船壱艘 三人乗帆五端五下
永三百三文 七左衛門
未の四月買入船に付、五月より八ケ月分
帆壱端九拾壱文つゝ
一小廻船壱艘 三人乗帆五端五下 又四郎
是は未の十一月、皆破壊に付、船役御免
の二件が記入されている。
他は、前年と変りないのである。つまり、未の十一月の大津
浪で被害をうけたのは、又四郎船一艘だけである。
他の船は、運よく伊東に居合せなかったのか、安全な所へ避
難できたのか、修理して使用できる程度の被害であったの
か、それ等については知る由もないが、和田村の廻船業が、
元禄大津浪の直接の被害によって打撃をうけたものでないこ
とだけは、確かである。