[未校訂]○宝林山浄願寺(飯谷)○島根県大田市大代町
もと福光城主吉川和泉守の臣津村安郎右衛門なる者、後陽
成天皇の慶長五年(一六〇〇)十一月二十七日落城後大家
の浄土寺に来り僧となり一頓と号し寺内一室を結び、五世
伝知の代に門外に一宇を創立し寛政五年(一七九三)六月
九日木仏寺号を賜る。明治五年の大地震(震源地、浜田)
で破壊、同六年再建せしが明治三十七年に大家本郷から現
在地に移転したという。
○秋葉神社(浜田殿町)○島根県浜田市
五年の浜田大地震で被害を受け境内に祀ってあった稲荷・
巌島・柿本社等の三十数柱とも現在位置に祀ったとき、
佐藤栄作元首相の大祖父、佐藤信寛浜田県令が「金二十円
也」奉納した記録が神社の額の裏に残っている。
○薬王寺(大字川戸字大川平)○島根県桜江町
宝暦十三年(一七六三)正月大火類焼し伽藍、古文書等焼
失。安永元年(一七七二)乙道和尚再建。明治五年の浜田
地震の際山門焼失し本堂、庫裡大破。明治三十五年八月本
堂、庫裡改築。
○甘南備寺かんなみじ ○桜江町川越坂本
元伽藍は渡利山の中腹にあったが元亀年間(一五七〇―一
五七三)大火の難にあい古事明かでない。丸山城主小笠原
家代々の祈願道場で渡利山八町余の所有地も明治維新後山
林は上地となり且又明治五年大地震(浜田地震)で飲料水
の湧出も止まり明治十七年高野寺三十四世将海和尚現在地
に移転。