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項目 内容
ID J2206015
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔大地震委録〕○大阪府寝屋川市大沢秀則氏提供
本文
[未校訂](表紙)
「嘉永七甲寅年六月十三日より
大地震委録
池村延隆記之 」
そもそも嘉永七甲寅年六月十三日 晴天 巳上刻夕立仕候
然る処午中刻地震いたし、亦ぞろ未上刻地震仕り其のあと風
吹き申し候
入日には誠に勿体なき御事に御座候得ども日の下に炎のごと
く相見え恐れ入り罷り在り候。同じく月の出塩も同じ事の由
に御座候間皆々驚き奇意の思いを仕り罷り在り候処、果して
翌十四日 終日晴天に御座候て 夜丑上刻頃大地震仕り 皆
々門亦は道路に参り恐れ入り 奇変の説々区々に候処 御宮
石鳥居震倒仕り候て折れ砕け申し候。其の外石燈籠は過半倒
れ申し候。然れども疵所はこれ無く其の中 柳本庄右衛門よ
り建立の燈籠は其の儘これ在り候。且つ亦拝殿東方の壁ひら
き申し候。猶亦 油屋孫兵衛借家打ち倒れ右借家に居り候横
地(門真市)村亀吉母子妹三人共下敷に相成りこれあり候ゆえ、諸人屋
根瓦取り除き助け候処、母子供は無難怪我所へもこれ無く、
妹こまと申す者壱人打ち身いたし惣身疵所を出来、脇腹を打
ち身仕る、然れども一命に障り無く候。猶亦 浦脇 源兵衛
家同じく相潰れ候得ども親子共怪我これ無く 無難に相助か
り申し候。始終 人家倒は右二軒にて御座候。勿論物入小屋
等潰れ候儀はまゝこれ在り候得ども、住家は二軒ばかりにて
これ在り候。尤も人家の壁ならびに土蔵の壁・屋根の儀は
様々損所出来、一体村中家並大小共損所出来候分は筆に述べ
難き大変に御座候。然れ共、人牛馬の怪我死失いさゝかもこ
れ無く候。夜明迄拾五六度も震動仕り、明け方卯刻 初めの
ごとく大地震仕り候て皆々途方に暮れ罷りあり申し候
十五日 早朝より度々震動に付き朝食に心配仕り、いよいよ
相止み申さぬ故俄に門亦は畑を穿ち飯焚き相用い申し候。
然る処追い々々近辺の変事承り申し候。是より南方は次第
に激しく、東方は飯盛山のつゞきは一向軽く、西方同断、
少々手安、北の方は烈しく、対(寝屋川市)馬江村女親子共両人死失、
嶋(門真市)頭村も壱人死亡仕り候得ども、見受け申さず。江之口村
壱両人即死。御供田近在所々死失人数多くこれある旨、右
等の事故家潰損は申すに及ばず、中には怪我人出来の分は
まゝ之あり、いよいよ大変と相存候
東方辺は左程にこれ無く候旨承知仕り候。先九ツ時迄何度
共相知れず震倒、午刻より折々いさゝかづつの雷鳴、昼か
らは少々小安く相成り候へ共、地震相止まず候に付き、区々
悪説を申し立て、今夜四ツ時、九ツ時には烈しき地震これ
在り等と風説いたし候に付き、只さへ途方に暮れ候折柄
いかが成り行き候哉と歎驚仕り、誠に気遣はしく候に付き
残らず自門亦は場広の所へ立ち寄り、夫々囲いを出来候て
参り居り申し候。終日終夜震動打ち続き申し候。此の夜は
折々雨降り申し候。甚だ以て難儀至極の事に御座候。然れ
共四ツ時・九ツ時は格別の儀もこれ無く、いさゝかの事に
て仕舞申し候。其の後は折々相震れ申し候
十六日も同早朝より震動仕り候えども、最初の様にもこれ無
く候間、大体夫々家業仕り居り候。なかんづく京都は厳し
く大坂も同断、南都は別して烈しき由承知仕り候。始終に
此の近辺は大変に御座候。七ツ時より曇り候て風吹き申し
候。今夜も同断門にて寝申し候。大分震動も間遠に相成り
明六ツより昼夜共一度地震いたし候
十七日は曇り申し候。未上刻より雨少々宛降り申し候。今以
て折々相震れ申し候。卯上刻相震れ、辰下刻同小震、午上
刻亦震れ、未刻同断、酉刻同断、夜に入り折々相震れ申し
候。昼夜に拾一度相震れる。最初とは小安く相成り候え共、
今夜も人家手弱の分はいまだ門囲いにて寝申し候。和州郡
山辺は大分烈しく候て、御領分内六百三拾人死失と、奈良
も同く厳しく三百人余死亡これ在る旨、しかと実否は相知
れず候え共、今日承知仕り候。大坂御城の馬場少々地割れ
候に付き一向人気宜しからざる段承る。此の辺も砂地並び
に川堤は少々ずつ響割れ申し候所もこれ在り、南方程人家
潰れ候儀は多分これ在り候。考え候に平生人家手弱に付き
震倒仕り候と相見え候
十八日 子の刻頃より雨降り、今以て折々震動相止み申さぬ
故、色々悪説申し触れ候に付き一向人気静まらず候間、深
く心配まかり在り候折柄烏鳴悪敷候に付き気憶れ心痛いた
し居り申し候。卯上刻震動、辰時相震れ、且つ亦此の節の
盗難宜しからず候て是れ亦心配用意仕り居り候。午上刻相
震れ、同中刻雨止み申し候。未上刻亦震れ、酉刻同亥刻同断断、昼
夜七度の震動に御座候。雨止み候後も曇り候。[郡|コオリ]村(寝屋川市)畑中に
割れ目より泥水吹き出す由、亦和州見明峠にも同断、割れ
裂け候地面より水吹き上げ候由、今晩承知仕り候。猶亦御
地頭信楽辺は山崩れもこれ在り、殊に烈しく候由相承り申
し候。今夜九ツ時には大地震いたし、つなみ或は土火(ママ)降る
等と区々悪しき事申す者これ在りいよいよ人気不穏今宵も
同く門にて寝候者もこれ在り候え共此の間とは日毎に小安
く相成り候えば別段気づかわしき儀はこれ在る間じくと拙
者申し居り候。果たして何の事もこれ無く無難に御座候。
かくの如く人気立ち候時節に候えば村役人たるべき者は悪
説は言い消し候心得専要に存じ候
十九日 曇り折々晴れ申し候。七ツ時より夕雨少々づつ降り
申し候。終日震動これ無くこれに依り皆々安心仕り候。十
四日の震動に損所出来候段あらあら左に記す
一仲兵衛居宅は格別破損これ無く候え共少々壁割れ申し
候。襖の塗り骨二本折れ、少々居室六歩ばかり北へ引き
申し候。西の方これ在り候土蔵東方壁桁際より壁下地共
に落ち申し候。寺子部屋床間の壁六歩ばかり下り 所々
壁割れ、大分西へゆがみ申し候。雪隠壁残らず落ち申し
候。其の外損所これ無く候
一御宮石鳥居折れ砕け申し候。石燈籠残らず震倒れ、拝殿
東方壁少々開き申し候。其の外損所これ無く候
一大念寺本堂の壁少々落ち候て[♠押|ナゲシ]落ち申し候。寺内にこ
れ在り候石塔過半震倒いたし、右の外格別の儀もこれ無
く候。但し石塔広台の分は在姿動きもいたさず候
一本覚寺本堂庫裏壁少々づつ落ち候のみの事に御座候
一御高札場無難に御座候
一郷蔵北側の壁三寸余り割り下り申し候
一其の外当村中家別に損所これ無き分は誠にまれ也。夫々
庭前にこれ在候石燈籠はいずれ共残らず倒れ申し候
一別記に候え共近隣村々はこれ無く候え共、大分寺道場震
倒の分もこれ在り候。蔀(四条畷市)屋村御堂は余程ゆがみ候てむつ
かしき由、またぞろ起き候儀は出来難く、追って組替え
の由承り候
右の通り荒々記し置き申し候。方角東方は存外烈しく、伊
賀御城半潰と申す事に御座候。奈良願(ママ)興寺の塔三重落ち候
由風聞申し候。江州ぜゝ御城大分矢倉海中へ崩れ込み候由
聞き申し候。右の始末いかがなる事に御座候哉重々恐れ入
り候事。既に去る丑年六月末より変星顕れ人気危ふみ候
処、七月頃より亜墨利加来船、諸大名より末々に至る迄騒
動仕り漸く当春相静まり候処、是れより先、去年百年来も
これ無き百日余の旱魃に候。然る処当年四月だいり並びに
京都大火。たまたま此の節人気物静かに相成り候処またぞ
ろ右大地震、いよいよ世上不安恐れ入り候次第、あげて申
し述べがたく候。すべて大地震と申すは、ゆり候毎に空に
ごうごうと鳴る音これ在り、あと直ちに震動仕り候。家々
の動き候事一向眼も当てられぬ事也。併しながら此の地震
にて是れ迄の悪事を震い其のあと泰平安穏の御代と風説こ
れ在り皆々悦び罷り在り候
十九日は昼は一度も地震これ無く候え共、夜に入四ツ時頃相
震れ、九ツ時過ぎ同断・八ツ時同断都合三度に御座候。其
の夜は稲光仕り候
廿日 折々雨降り申し候。昼二度地震、夜雨降り稲光雷鳴、
酉刻地震都合三度相震れ申し候。然る処廿一日右損処御見
分として、深(大東市)野南新田会所へ村々御召しにて御尋ねに付き
左の通り書き付け差し上げ申し候
恐れながら書き付けを以て申し上げ奉り候
一当月十五日丑上刻より大地震にて此の節まで日夜度々震
動仕り、尤も追い追い静かに相成り候儀に御座候。右に
付き潰れ家怪我人等の有無御尋ねに御座候。これに依り
左に申し上げ奉り候
氏神境内にこれ在り候
一石鳥居 壱所
一小家 壱ケ所 桁行き二間 孫兵衛
梁行き一間半
但し屋根瓦葺きに御座候
一同 壱ケ所 桁行き壱間半 源兵衛
梁行き壱間
但し右同断

右の通り相損じ申し候。其の外諸建家少々損じ、且つ壁落
ち候位の事に御座候。勿論人牛馬怪我等一切御座無く候間
恐れ乍ら此の段御届け申し上げ奉り候 以上
河州讃良郡堀溝村
嘉永七寅年 年寄 仲兵衛 印
六月廿一日 庄屋 長兵衛 印
信楽
御役所
右書き付け会所にて御手代 村木為作様 柴山金馬様御両
人へ差し上げ候処相済み申し候。此の辺は手軽く、勢州宮
より西烈しく候由、信楽辺は山崩れ多く、依って人家も相
砕け候。道筋樹木打ち倒れ歩行成し難き所これ在り、余程
大変の由御噺遊ばされ候。右出勤仲兵衛罷り越し申し
候。深野会所は大破の様子に相見え申し候
右書き付けの写し御用達 多田屋篤右衛門へ相遣わし候て
同人より御奉行所へ御届け申し候筈に御座候
廿一日 晴天に御座候。辰上刻、地震仕候。折々夕立にて雷
鳴、酉中刻またぞろ大分の地震仕り候て其の後震れ申さず

廿二日 雨天。折々大夕立いたし候。雷鳴。夜三度迄地震仕
り候
廿三日 終日曇天。昼夜に 三度の地震に御座候。其の後も
矢張り震動相やまず。日に二三度づつは相震れ申し候
廿八日 卯刻・未刻・酉刻合わせて三度の地震に御座候
七月二日 いまだ折々震動仕り候。昼夜に三四度づつの事に
て御座候。此の節南大和桜井辺は甚だ烈しく、みなみな野
宿の由、今日承知仕り候
六日 またぞろ四ツ時・八ツ時地震いたし候。七日の夜も両
度震動ゆり申し候
閏七月上旬頃は矢張り折々地震仕り候。其の後絶えて相やみ
申し候
九月廿日 夜五ツ時過ぎまたまた小さき地震これ在り候
十月廿四日の明六ツ時またぞろ大分の地震仕り候
同月廿七日 夜半前大分の地震いたし候
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 970
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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