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項目 内容
ID J2203868
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1812/12/07
和暦 文化九年十一月四日
綱文 文化九年十一月四日(一八一二・一二・七)〔江戸・神奈川・程ケ谷〕
書名 〔天文暦学諸家書簡集〕S56・10・10 上原久・小野文雄・広瀬秀雄著 講談社
本文
[未校訂](高橋景保書簡伊能忠敬宛 文化九年十二月十三日)
(前略)
一十一月四日昼八ツ半時比、関東大地震ニて候。老人江承候
処、如此大震ハ覚不申候由、乍去当地ハ人家壊倒ハ稀ニ
て、只土蔵壁落、家作・建付損位之義、当役所抔別而無
事、是亦御土蔵壁腰巻類落候迄ニて、其外御長屋向無別
条、御城中ハ数ケ所損有之趣、就中甚しきハ神奈川・程ケ
谷・川崎辺ニて候。右三駅ニて人家三百程倒、死亡ハ僅弐
十人斗と承候。神奈川台丁海手掛ケ造りの茶や等ハ悉く倒
レ候由、珍敷大震ニて候。箱根より西ハ至小震之由、佐原
辺も軽キ様承り申候
一同夜も両度大震有之候得共、昼よりハ軽く有之候。其後日々
小震有之候。此節平和ニ相成候。同廿一日夜新吉原西之方
非人小屋ゟ出火、西北大風ニ而吉原一円・田町・北馬道・
聖天丁ゟ大川端迄焼払申候。当年中之大火ニ有之候。此節
山谷或深川辺所吉原仮宅出来、世間物騒敷有之候
右時候御見廻旁早々如此御座候。木星小星之義、呉々も御
丹精可被成候。年内余日無之、来陽めで度可申述候
恐惶謹言
十二月十三日 高橋作左衛門景保
伊能勘ケ由様
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 654
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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