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項目 内容
ID J2202849
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1769/08/29
和暦 明和六年七月二十八日
綱文 明和六年七月二十八日(一七六九・八・二九)〔日向・豊後・肥後〕
書名 〔南路誌〕
本文
[未校訂]一沖嶋中崎野方といふ所宝暦年中畑開発鹿垣出来也凡石垣間
数九百余も有之尤安永年中にも鍬抜尻と申場所間数百間斗
開発之事但夏唐芋里芋大豆小豆大根
の類手に相応所傍仕候由也
一右浦之儀先年より為御振替米年々百八十石充相渡候由之処
宝暦年中下代類丈七右は振替米之儀に付存寄申出其以来明
和之頃御作配替りに相成年々百廿石宛相渡る尤三拾石は三
浦氏太郎殿格に替付を以受取九十石を以地下人諸作米被仰
付候内拾石分は前方水主足役銀上納相滞候訳を以石七拾五
匁定御相場を以拾石充御引落被仰付相残八拾石充を以諸雑
用作配米に被仰付置候也右鹿垣並畑開発之儀右丈七御分一
役号を以相勤候砌両条共存寄申出夫々仕成出来年々相応之
所務仕由之処厥后大地震にて悉荒損じ捨り候由安永年中右
浦下代次郎助同弥五七両人石垣開発等之儀再興願出御聞済
之上是又出来年々畑作物相応に所務仕今以不相更出来候由
尤安永年中□ニも出候通鍬抜尻と申場所新に鹿垣間数百間
斗開発共出来候由
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 520
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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