[未校訂]乙部でも高処に居住していた人たちは助かり、のち小川の奥
に入り炭焼に専念したという。乙部では無縁の溺死者の霊を
慰めるため林庄右衛門が釈迦堂を建て、江差にも供養塔が建
てられ、それが正覚院や法華寺に現存しているし、松前の立
石野にも建てられたのであった。
厚沢部は幸いにもこうした惨害からはのがれることができた
のであったが、降灰は乙部のように昼でも暗くなるほどであ
ったものらしい。
(注、年表の部省略)
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J2202354 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1741/08/28 |
和暦 | 寛保元年七月十八日 |
綱文 | 寛保元年七月十八日(一七四一・八・二八)〔津軽・江差〕 |
書名 | 〔厚沢部町史〕S40・4 北海道檜山支庁 ▽ |
本文 |
[未校訂]乙部でも高処に居住していた人たちは助かり、のち小川の奥
に入り炭焼に専念したという。乙部では無縁の溺死者の霊を 慰めるため林庄右衛門が釈迦堂を建て、江差にも供養塔が建 てられ、それが正覚院や法華寺に現存しているし、松前の立 石野にも建てられたのであった。 厚沢部は幸いにもこうした惨害からはのがれることができた のであったが、降灰は乙部のように昼でも暗くなるほどであ ったものらしい。 (注、年表の部省略) |
出典 | 新収日本地震史料 補遺 |
ページ | 415 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 北海道 |
市区町村 | 厚沢部【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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