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項目 内容
ID J2201953
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1715/02/01
和暦 正徳四年十二月二十七日
綱文 正徳四年十二月二十七日(一七一五・二・一)〔越前・大垣・名古屋〕
書名 〔基熈公記〕○京都
本文
[未校訂]廿八日丙

 天快晴 去夜寅刻地震 近年大震也、所欲出庭止
了、此後天晴了、又夜中少震及二三度歟、人ヲ進所々、各
無事之旨有返答(中略)今日地小震六七度云々
廿九日丁

 天日出後雨下、終日不休
一世間米及二百卅目、民間愁不過之、是元禄末比以来金銀
以外不宜故也、此事常憲院代悪人催之、依是先代文正院
被歎之、末後遺戒等有之、仍金銀等フキアラタム、当冬
始催之故聊米カロシ、雖然猶及百卅四十目、但米穀日本
国中当年過半豊年云々、定而明年者為豊年歟
一当年大風両度
一大流星
一頃日地大震
一民間キ(飢渇)カツノ者多々、関東同前云々
一盗賊所々有之
可謂凶年歟
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 347
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 京都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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