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項目 内容
ID J2201941
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1714/03/28
和暦 正徳四年二月十三日
綱文 正徳四年三月十五日(一七一四・三・二八)〔信濃大町〕
書名 〔いにしえの里小谷〕○長野県S59・9・20 松本好文著 信毎書籍出版センター刊
本文
[未校訂]2 正徳四年の大地震と坪の沢の大ぬけ
正徳四年三月十五日に起きた地震は、今までに無かった大地
震であったと思われる。つぎの古文書は白馬村大出部落を尋
ねた時見つけたものであるが、小谷にも関係があるので紹介
する。

正徳四年甲午の三月十五日の夜の戌亥刻に、大地震ふる
い、明けて十六日昼四つ時まで、三十三度震い申候然して
何と、信州の内大いに震い申候
四ケ条村、小谷まで皆々震い崩れ候て、何と人数五十四人
死に申候。家数三百五十軒つぶれ申候。牛馬数は知れず、
同所坪の沢にて、大山抜け、此の山高さ四百二十間、横幅
百間の山、崩れ申候。河表、河原ともに二百五十五間の所
堤み申候。然して何と大堤みに罷り成り、此堤、坪の沢よ
り塩島新田迄二里堤み申候
同月十八日の晩に此堤払い申候、 一里が間、皆押払い申
候。同じく下へ下り、土路崎と申す所、又堤み申候此の堤
は、わずかにて御座候て払い申候。山々皆々われくずれ申

午の五月二十三日
御奉行所
右のように、地震の様子を書いて報告したものの下書きであ
ったと思われる。
この地震については、享保九年十二月松本藩において編集し
た信府統記にも書いてあるが、十年も経てからの本であるの
で、記憶が薄れていると見えて、数が一致しているとは言え
ないが、信府統記の文を紹介する。
坪の沢。人家、田畑、残らず亡所となる、人数三十人、牛
馬八疋、家九軒退転
堀の内村。家四十八軒潰れ、人十四人、牛馬三十六疋
中谷村分宇中。家二軒。来馬村分宇中、家六軒。同村分宮
本、家四軒
土谷村分下り瀬、家六軒。同村分虫尾、家三軒
以上のように記載されている。
享保九年までには殆どが、復元している旨が記されている。
下り瀬以北のことは記されていないが、これだけの大地震で
は、多くの被害が出ているものと思われる。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 341
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 小谷【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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