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項目 内容
ID J2200381
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕
書名 〔箕島町誌たちばなの里〕S26 ▽
本文
[未校訂]而して此の落城の天正十三年十一月には大地震、津波の襲来
といふ人異に次ぐ天変異変に遭ひ、此の地方は非常な被害を
うけた。特にかつて繁華の要津であった、小豆島前方の田鶴
浦は全く破壊せられ、絃歌の地は一朝にして荒廃せる漁村と
化したり、と伝へられている。それより数年を経た天正十九
年に、十三年の落城の際辛じて類焼をまぬがれた定頼の庵室
を移して善福寺(仏願寺の前身)の創建をなし、僅かに宮崎
氏没落の余情を留むるに至ったのである。
(○此の落城とは宮崎城が豊臣秀吉の義弟秀長の攻撃を受
け落城したことをさす。)

唯一五八五年(皇紀二二四五年)十一月二十九日、大地震が
あってつなみが襲来し、ために田鶴浦が荒廃して一漁村とな
ってしまったことが記録に見えている。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 85
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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