Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2200373
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕
書名 〔長島町誌 上〕○三重県桑名郡S49・11・3 伊藤重信著 長島町教育委員会 ▽
本文
[未校訂]建保年中(一二一五年頃)に坂手の地に、坂手山大通院(真
言宗)が開基された。―一説には永仁三年三月十五日開基
とある。「この寺は近在にない大寺であった」と記されてい
る。―永禄年中(一五六〇年頃)に浄土真宗に改宗し、西
勝寺と号した。天酉地震(天正十三年―一五八五年)の後
(一説に元亀年中ともある)尾張国海西郡立田村に転じ、更
に慶長二年(一五九七年)桑名殿町に転じ、寛永十八年(一
六四一年)再び桑名萱町に転じた。最勝寺とよんでいる。

長島城
而して正保年中の松平定政の公府への訴状によると「天正年
中依地震、殿守顚倒、其余大破壊、而後雖有再制僅不及其
手、爾来城主力乏、而代々零落、二ノ丸塀亦無何竹藪生茂、
然此城古来月(ママ)無門於地方旅人夜日往還元」とあり、これから
見ると、定芳の長島城修復は根本的なものでなかったようで
ある。

中道場の地は東光寺の屋敷跡である。東光寺も天酉の地震に
よって美濃国へ転退している。なお字名に東光寺川田という
のがある。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 83
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 長島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.002秒