[未校訂](天正地震―特に濃尾・近江・越中の被害について)八木伸三郎・伊藤英文・上田さち子
家忠は一一月二九日~三〇日の大地震を岡崎で体験している
が、以後の余震はそのほとんどが東部に逗留中に体験したも
のである。なお「史料」第一巻の十二月二十日の「なへ」は
無く、一月一五日と二月八日に「なへ」を追加しておく。
「新収史料」一巻(一五一頁)所収の外宮遷宮召立記の天正
地震記録は、益(黒瀬)弘自筆本と校合すると「十二月」の次に「一
日」が抜けており、他にもわずかながら用語・用字の違いが
ある。
また「新収史料」一巻(一五一頁)は宇治山田市史下巻(一
五七七~八頁)を引用して「松木満彦年代記」を出典とする
天正一三年七月の地震を記録しているが、この地震記事は神
宮文庫蔵の『松木禰宜満彦年代記』にはない。ただ近い史料
として同文庫蔵『天正十三年両宮遷宮前後之申分』冒頭の同
年七月外宮解状に
殊今月五日大地震之刻巽方智(千)木頽落、是御朽損甚故也、尤
驚怖神慮叵(はかりがたきものカ) 測 者歟、(・印は難字に付同じ意味の字に変
更)とあるのをここに紹介しておきたい。