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項目 内容
ID J2200185
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1394/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1394/99/99
和暦 応永年間
綱文 応永年中(一三九四~一四二七)
書名 〔続阿波国徴古雑抄 一〕○徳島県S46・3・1 徳島県立図書館編 金沢治監修 (株)「出版」発行
本文
[未校訂]山崎村斎部神社之記
麻植郡山崎村王子権現の傍に天日鷲命のほこら有之候其もと
社は今の社壇より凡二三十間計上に御座候然処其地応永年中
之比地震の時崩申して今の所へずり落申候其節鏡たまなとの
類ひろい申候扨其辺より出申候土器は甚古き物にて全神代之
神供之類と相見え申候今も其辺を掘申候はゝかはらけつほの
類様々出可申候此旧社の西の方に御座候谷を日鷲谷と申候又
は隠谷と申伝候今日吉谷と申候は其辺に山王権現の御社御坐
候故もし云あやまり申候事もやと存申候又ある説に曰わしの
みことかくれさせ給ふ処と申伝候ゆへに隠谷とかや申候扨又
此辺に大なる木あり里人むかしより青木と申伝候其木幾年に
相成申候や難斗御座候へ共いにしへより申伝候通といまに其
木の有様さらにかわり不申候是を又昔より日鷲命の御身を隠
したまひしあとゝかや申伝候其木の根より凡二尺斗上に朽た
る所御座候て其穴より水わき出申候て春秋たへ不申候其水を
異病のものなとにあたへ申して本腹(ママ)仕候事むかしより数々た
めし御座候あるとき西方寺の堂宿云やうかくとて何の事かは
あるへき哉とて斧にて彼木を切らんとて行て一枝打と見へし
かたちまち彼僧死にけりそれよりこのかた猶更恐多見て里人
尊みけり其ふもとに岩戸の社とてほこら御座候其辺は一面に
奇妙の石にして中にも高きいはほのいたゝきにはわたり壱尺
斗の穴御座候て常に清水をたゝへひてりの時といへとも其水
かわき不申又大雨の後といへとも更にあふれ不申候されは昔
より聞伝ふる処と今も其物語に一々たかふ事なしあるとき三
島村蓮光寺の僧かねて信仰仕処折節異病にて医師なと色々手
を尽し申候所あるよ曰わしの命あらはれまし〳〵岩戸の水を
のみなは無程平癒すへしと告たまふと覚へてゆめはさめにけ
る扨はとて早速彼水をくみてあたへけれは日ならすして全快
いたし申候扨又かのいはを日鷲命を類向石と申水を延命水と
申伝候其東につゝき申候池を神の池ともまた岩戸いけとも申
伝候いにしへ此地に身をなけんとて行く者御座候所水そこに
すゞの音などいたしあまりふしき成事よとて帰りて其よしを
告けるよしかやうの事ひとりのみならすためし御座候もとよ
り此池に身なけ申候て昔より死申候もの承不申候扨また村雲
の社とて民家のうちに御座候又此辺をさして雲宮と申伝候是
も此社有故にや申伝候偖又忌部の御社は長山のすゑ短山の辺
りに御座候よし聞伝他国迄も仰申候て参詣日々絶不申候誠に
かゝる事のためしおほく殊更もとの社の辺より様々古き品々
出申候より猶も此里をこそ忌部の郷と聞つたふるも尤なりと
昔より老少口々に云伝聞つたふるのまゝ凡書付申候 縁起終
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 33
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 徳島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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