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項目 内容
ID J2200009
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
0684/11/26
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
0684/11/29
和暦 天武天皇十三年十月十四日
綱文 天武天皇十三年十月十四日(六八四・一一・二九)
書名 〔石見銀山三瓶山秘抄〕○島根県S54・10 石村勝郎著 太田市立図書館発行
本文
[未校訂]地震でできた浮布池
三瓶山の西側のふもとに、じっと物思いに沈んでいるような
姿で、浮布池が水をたたえている。親三瓶と子三瓶を映し
て、夢の湖水は山の永遠を語りかけているようだ。
浮布池の中の島に池の宮がある。池の宮は[邇幣姫|に へ ひめ]神社とい
う。神社の由緒記によると。
人皇四十代、天武天皇の[御宇|ぎよう]、白鳳十三年[甲寅|きのえとら]の四月十四
日、当地方大地震のとき、[佐比売|さひめ]山の西側崩れ落ちて水源
の下流を埋めたため、この池、水をたたえて霊池となる。
としるされている。白鳳といえば七世紀の末になる。
ところが八世紀につくられた日本書紀によると、地震があっ
たのは白鳳十三年[壬辰|みずのえたつ]の日、[亥|い]の[刻|とき]とある。つまり十月十四
日午後十時にあたり、由緒記とは日が違っているが、すさま
じい地震だったらしく、被害は全国におよんだ。山は崩れ、
川水があふれ、建物の全壊は数えきれないほどだった。[伊予|いよ]
(愛媛県)では温泉が埋って出なくなるし、土佐(高知県)で
は田や畑が一千百五十七ヘクタールほど陥没して海となり、
伊豆(静岡県)の沖では高さ九百メートルの隆起があって島
となったと記されている。
白鳳の地震は記録に残されている災害としては、日本では最
古のもの。これは土佐沖を震源地とし、南海地震と呼ばれて
おりマグニチュード八・四だった。白鳳地震は高知県ではい
まもさまざまな伝説やいい伝えが残っている。
白鳳地震は、三瓶山では親三瓶と子三瓶の間の、[層雲越|そううんこえ]とい
う低い部分のあたりが、はげしく鳴動し、転石と共におびた
だしい土砂が崩れ落ちた。山あいから流れ出る渓流は、池の
原でみるみるうちにふくれあがり、面積二十七ヘクタールの
湖水になった。
この地震のとき深い谷だった池田は、土砂で埋って現在の台
地ができ、町ができるようになった。
浮布池ははじめ[浮沼池|うきぬまのいけ]といった。万葉集にも「浮沼池」と歌
われている。柿本人麻呂が訪れたのは、白鳳の地震のあと十
五年ほどたってからであり、まわりに雑草や低木が生い茂
り、草むらの間から見える池が沼のように見えたのだろう。
浮布池に名が変わったのはいつのことかわからないが、江戸
時代の終わりごろ寛政十二年にまとめられた三瓶十二景によ
ると、浮布池と記されている。
浮布池の水は、谷や段丘の間を伝わって延長一万七千三百
メートルで日本海に流れこむ。上流を大江川といい、これが
下流では[静間|しずま]川と名が変わり、川の沿線では九百ヘクタール
の水田をうるおしている。白鳳の地震の名残りは、さまざま
な形で、地域の人に新しい歴史と進歩を教えているといえま
しょう。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 6
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 大田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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