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項目 内容
ID J2100211
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔日記〕木曾郡南木曾町与川 山田武一郎家文書
本文
[未校訂]大じしんハ三月廿四日はん始まり五日六日も折々いり申候、
当年善光寺御かいてう三月十日始まり申候、人大く死る故御
かいてうやまり申候也
四月朔日 霜ふりてさむく御座候、四日ぢしん一ツいる、五
日ちじん三ツいる、風少々ふく四月十日大風ふき木大へんに
ころび申候、家めくり木曾内大あれ麦ふきおり半不作になり
申候、近年大あれなり、善光寺之やけのこり半死之物□りか
ねにて折々通り申候、たんばじま之川いまたとまり申候、水
一向なくて人わたれ申(ママ)候、川上々山くずれ川せがめて幅三里
ニ長五六里水たまりて十八ケ村水つき申候いふ也
四月十三日 たんば嶋川ぬけ出シ四の二(ママ)のおゐわけ道水つき
家なかれ人多死ス、善光寺之下ニせかりて水たまり申候と
聞、此ぢしんにいゝ山之城いりつぶし、三万五千石之大名つ
きうめニなり申候、松城十万石大名城半つふれなり申候御領
分みな押なかれつふれニなり申候云 廿三日ゟくも大きニ登
四日五日あめふりさむし、ふやうき□(カスレ)申候山□す□かゝ
りて□(カスレ) 北国海道七ケ宿いりつふし家人共々多く失ひ
申候、又七ケ宿ハ半つふれニ成申候人馬通行六ツケ敷加賀様
家中中仙道御通行也善光寺ゟ越後迄内三十万石程あれ申候ト
聞、九月頃之咄ニ米半作位ハ取申候ト聞
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1655
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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