Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2000119
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔丁未茶談〕
本文
[未校訂](注、「史料」第三巻を次のように補う)
(七九二頁下左六行目「…に暇あらず」の次に左を入れる)
その後届ケ等承る処本丸始二之丸帯(ママ)曲輪三之丸西曲輪大手
の門并ニ塀其外橋梁半所住居向震潰半潰多端にて侍居宅四
十四軒潰六斬焼失四軒損同小役之者長屋十八棟潰拾二棟焼
失三軒半潰町家竈五百四拾七軒焼失三百拾二軒潰在方居宅
二千五拾六軒潰内八十三軒土中ニ埋れ七百三十軒半潰二十
三軒焼失社五十九ケ処諸堂六拾八ケ所寺院十七ケ所皆潰れ
死失千百弐拾壱人牛三疋馬弐百三十四疋会所春屋土蔵皆潰
五六拾ケ所囲籾五百石不残焼失荒地其外略之
(七九三頁下四行目、わかち書き「唱」のあとに次を入
れる)
相成候わ水上山中谷間之中岩倉山
(七九三頁下五行目「堰留候」のあとに次を入れる)
是ニ准し鹿谷川水源安曇郡山中ゟ流出るも弐ケ所にて堰留
(七九四頁下九行目「…にも至り候由」のあとに次を入
れる)
中の条陣屋御代官川上金吾助支配下一向不相分
(七九四頁下左一行「…有之候」のあとに次を入れる)
温泉
(七九五頁下三行目「…候よし」のあとに次を入れる)
或ハ八幡□娘山平村□江嫁ニ参る宅ニて機織なから地
面宅とも押出し亭主ハ庭ニ居り土中ニ成り頭斗出ておるに
付漸々に掘出せしよし或ハ岩倉山天狗岩之槻之木ハ山中第
一之大木且虚空蔵の社之四面杉立多く有るを其儘押出し北
山峰ニ有る社と立ならぶよし或は荒井坂願法寺庫裡ハ二ツ
ニ開きたるよしケ様之類ひも人家ニ間々有り或は飯山城下
ニて十二三之娘を連れ親逃出金五拾両娘ニ為持置宅江立戻
る処直に圧死致し横駕籠かせきの悪もの通り掛り掠取るよ
し或ハ稲荷山木層(カ)何某逃出足斗り材木ニ喰敷かれ行人に頼
みければ通りかゝりの人助けんと強く引ても取かね何れも
立去り其内に火かゝり焼死ぬよし或ハ小松原松林大ニいた
め真白ニ皮むき又は根とも掘穿石当り上之方へ刎上候跡下
より上まて付き皆皮とれて有り或ハ松代領之山々斗にて小
崩まて数四万九千余之旨家老丸山舎人親類樋口健之丞噺の
よし且水内橋并犀川橋之普請今度ニ限 公儀御普請之よし
或ハ芋川辺二ケ村共山沢水押埋り田畑不残亡地相成或ハ下
後町豆腐屋何某水甕之中江金子入置夫婦逃出けれとも気に
掛り女房之諫も不聞又々宅江立帰り手をおろし候処江二階
落けり積置きの大豆の俵ニて圧死致し或は五月廿四日は松
代また〳〵大震棟又は天井落候宅茂有るよし或ハ権堂妓女
此節焼跡之釘をひろひ檐物とふいたし黒色に成り亭主ハ材
木とふを檐ふよし是まて色鄙に不似合栄曜(ママ)のみにて銀之土
瓶にて湯を沸し万(ママ寿カ)奇屋間を処々に建て娼婦も是等之翫なと
いたし〓布をまとひ飲食に超過致し花麗に押移り候報にや
ともおもわれる也扨又諸国之参詣死亡ハつくしかたく
(七九五頁下五行「…に止宿」の下に次を入れる)
大へんと承り
(八〇〇頁下四行「…受候よし」の下に次を入れる)
あんするニ山鳥こひさぎよる飛時は形見へず火の玉のよふ
ニ見ゆる物故心なき者の申事なるへし
(八〇〇頁下六行目「寛保二戌年」の下に次を入れる)
小山村
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-1
ページ 701
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.009秒