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項目 内容
ID J1900529
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔熊風土記〕稲留三郎著
本文
[未校訂]安政二年(元年の誤か)十一月五日午後五時頃、人吉大地震にて所々家々倒
れ、或はつぶれ、又は傾き騒動なり。家倒れ又は損じ、石垣
崩れ、怪我人多く、原城にては豊永団内所の長屋七間、瓦葺
一棟倒れ崩る。其外原城其外又所々大破、四五寸傾く所は多
く有之、御館の内所々損し、又は傾き御住居成され難く、依
て直に御普請御始。表向西の御居間、御次の間、御詰の間、
内の御居間其外諸所取払、建具畳迄取付、ねた板迄取除き、
長木数十本を入れ、押手木を以て押立押立、其時大工は込セ
ンをしめ、次目次目取付の所に大カスガイにて留め、又石口
柱の根のすきたる所には木を打込み、戻らざる様に堅く〆
て、其後壁を塗り、離れたる所を打付け、夫々御雑作有之、
御物入其外御高城、護摩堂下の御門崩れ倒る、町方馬場方之
に準ず。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2387
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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