Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1900161
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔比田村史〕○島根県能義郡S29・11・3 比田村文化協会村史編纂委員会
本文
[未校訂]嘉永七年十一月四日午前七時長く強震あり、翌五日午前四時
強震家屋五寸位傾き長く続けり、午後七時及八時其後朝迄六
回、六日朝一回、七日夜十二時頃二回、八日一回斯く数回の
地震あり。古来より当地方にはなき事と老人の話なり。人々
大いに驚き顔色を失い、神仏を祈るもの多く、屋外に出る者
多し。然れども家屋の倒壊せるものなく皆々安堵せり。五日
朝の強震にて杵築町(現在の大社町)は家屋大半倒れ、倒壊
せるもの六十軒、破損のもの多数ありたりと聞く。(若槻治
左衛門記録)

注、〔広瀬町史 上〕はこの記録の現代語訳のあとに
次の文がつゞく

広瀬藩の士民は多く席を戸外に敷き、露宿して夜を徹した
が、実に広瀬藩分封以来始ての事であつた。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1651
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 比田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒