Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1900061
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔泉大津市年代記〕S27・12・25西角徳太郎 泉大津市立図書館
本文
[未校訂]二五一四 孝明 嘉永七年(安政元年)六月十四日・伊賀
伊勢・大和・河内・和泉・山城(一八五四)・摂津・近江・丹
波・丹後・越前・紀伊・尾張等の広範囲にわたり大地震があ
った。当地方ではこの前日十三日の昼九ツ時(十二時)にも
小震があり、十四日は朝八ツ時(午前二時)から揺り初め、
翌日夕刻に至って愈々激しく十六日まで昼夜断続的に揺れ続
いた。十四日は凡そ十回、夜八ツ時大震、十五日は朝五ツ時
(午前八時)大震、同日十四回。余震は八月中旬まで十七回
に及び、当地に於てはこれが為め人心は極度に怯え、不安と
危惧に襲はれて安眠することが出来ず、小屋掛を造って屋外
で寝起する者や、大津川辺の竹籔中に避難する者さえあっ
た。かくて八月の終りに至つて全く鎮静したので人心漸く安
堵して蘇生の思ひをしてゐたところ、十一月四日五ツ半時
(午前九時)俄然、大きな地鳴りと共に揺れ出して人々を驚
かせた。続いて翌五日暮六ツ時(午後六時)夜四ツ時(午後
十時)また大地震があった。
(中略)
この時当地に於ても少なからぬ被害があったことゝおもはれ
る。千原村から大阪川口役所へ提出した「地震損害書上帳」
に拠ると、千原天神社石燈籠の倒れたもの八基、家屋の倒壊
二棟(武八郎、治兵衛(田口)の両家)同じく大傾斜九棟、
其の他壁の破損、塀の崩壊等多数に上ってゐる。死人は無か
った。これは比較的軽少な被害であるが、他村では相当大き
な損害を蒙ったらしい。助松村専称寺の正門が倒壊したのも
この時であった。(後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1544
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 泉大津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.006秒