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項目 内容
ID J1900037
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔布施市史 二〕○大阪府S42・1・15 布施市史編纂委員会・布施市役所
本文
[未校訂]同年一一月四日朝五ツ時(午前八時ごろ)の地震は「古来稀
成ル大地(震)ニ付筆記帳」(今西家文書)によると、同日五ツ時に
大地震があり、それより折々中震、そして翌五日、六日にか
けて二、三〇回も余震が続いた。
この地震による近江堂村の被害は、潰家として建家八カ所、
ひさし三カ所、塀二カ所、大破が建家九カ所、土蔵二カ所で
あった。金岡新田は大破が建物一カ所、土蔵一カ所、納屋一
カ所となっている(「大地震ニ付崩家取調帳」―木田家文書)。また新家村の年寄七
兵衛と兼帯庄屋の菱江村調右衛門が、竜野役所へ提出した大
地震筆記帳による被害は、次のとおりである。(前掲今西家文書)
一本宅(七兵衛宅)玄関之しげさん之戸四枚われ申候、其外座敷之雨縁
之戸・ころろ、ねじきれ申候、猶又敷鴨居不残はづれ申
候、玄関之落間之まゑら戸われ申候
一妻戸鏡戸抔もわれ、其外壁廻り痛所無之、壁は一ケ所も
無之、襖不残働き不申、樟子(ママ)過半やぶれ申候
一巽蔵之壁北側不残、南側過半、東側三分通りわれ落申候
一乾蔵少々西へかたむき、北側ニ而八巻われ落申候、庇は
当夏之地震ニ而落候ニ付、普請いたし候ニ付、至而入念
候ニ付落不申候
一納屋之庇長五間半幅五尺不残落砕申候
一仙財廻り石灯籠ハ、当夏之地震ゟ建不申候ニ付さゝわり
なし
(村内)
一建家壱ケ所
梁間 壱間半
桁行 三間
七兵衛かしや
源吉
右は家根瓦葺ニ而御座候処、右地震ニ付相倒申候
一建家壱ケ所
梁間 三間
桁行 五間
宗助
右は家根萱葺ニ而御座候、尤自分所持ニ御座候
一建家壱ケ所
梁間 三間
桁行 弐間
源右衛門
右は家根萱葺ニ而御座候、尤自分所持ニ御座候
一納屋庇壱ケ所
巾 五尺
長 五間半
七兵衛
右は屋根瓦葺ニ而御座候処、不残落砕申候、尤自分所持
ニ御座候
一建家屋根并壁落等大破半潰拾軒、此外小破之分不残御座
候、尤右地震ニ付村内怪我人等、一切無御座候
ほかに近在の村々については第3表の通りで、このような災
害を受け、農民一同途方にくれていると、役所へ報告している。
第3表 嘉永七年十一月の地震による被害
村名倒家半倒中損死人怪我人備考
御厨村九村中半方程村中不残○○長田村一〇〃〃○○西堤村五過半〃○○大念仏寺、宮寺、薬師堂倒壊
稲田村五三分通り〃○○川俣村三二、三分通り〃○○下小坂村過半〃○○浄雲寺倒壊
中小坂村一六〃〃○○道場倒壊
上小坂村宝持村小若江村近江堂村}中小坂村より、余程損じ少し
荒本村一家損じ、外村よりは余程軽し
横枕村二家損じ荒本村同様
岩田村一八過半不残四カ寺倒壊
西岩田村九同村瓜生堂三}岩田村同様
若江村上若江村下若江村}九不残〇〇吉田村本郷五同村新家九)半倒壊中損の分は岩田村同様
(備考) ほかに村名のみが11ヵ村ある。
同村下嶋一二稲葉村三)
水走村道場一カ寺倒壊
菱江村角田村}一七半倒壊中損、岩田村同様
加納村三〇村中八分通り村中二分通り〇〇寺四カ寺倒壊
氷野村焼失一二軒
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1483
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 布施【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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