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項目 内容
ID J1800406
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔大地震の事〕○静岡県
本文
[未校訂]○嘉永七甲寅年十一月四日(四つ半五つ半(訂正してある))時俄に大地
震来つて世上の人人生きたる心地なかりける先ヅ此時当村
にて本家びしやつぶれ五軒也其外せついん物置家等四五軒
都合棟数拾軒相つぶれ申也人死は男女弐人六反田山落の下
へうづもれ (ママ)可也大けがを致候もの女壱人
倉沢村にて山落の下にうづもれて拾六歳の男壱人死す
西方村滝の谷ニて山落ちて男弐人死す
本所村にて本家のかわら尾だれの桁の下に押れ壱人死す
先此の近在ニては人死は右の通り扨掛川宿は出火して皆やけ
落人死ハ拾余人袋井宿も同事也此両宿の人死凡百五拾人此人
死のあわれさは誠ニ筆書ニも難尽日坂宿ハ無難ニて仕合よし
小夜中山皆つぶれ阿われ也菊川は無難ニてさわりなし金谷宿
本町ゟ下ハ八分通りつぶれ人死拾人也
此時之大地震東ハ箱根迄西ハ誠に大きし西国は津波ニて人多
く死す事数ヲ志らず東ハ伊豆ニて志も田と云所津波ニて人死
多し江戸は無難にてよし
此近在倉沢ゟ上無難也
切山谷通り無難也富田之両谷吉沢和田辺無難ニてよし
交田沢水加大破損ニて難儀致ス然れば当村人々皆々我家を出
て竹やぶ江入込小家を作り毎夜ねをき致しけれども只慾も徳
も思ハず命さへ助りなバよき様におもい家業之事も忘れたゞ
うか〳〵とわけもなし暮しける同月九日之夜又々余程大きく
志しん入ける十一月中昼夜ニ七八度づゝも少づゝ志しん入け
る村中ニて手も付ぬ家弐三軒もあり其外皆、手が掛りける互
に取持合我が破損ハ人の世話ニ成人の家ハ我も取もち大きニ
かたぎたる家もよふ〳〵引をこし皆それ〴〵本家へうつると
云共其冬内ハ不申及来ル卯年夏迄も一二日間ニハ地震入りけ
る事きみ悪し右の大地震の節川井御陣屋も御代官の御宅も不
残皆つぶれニて誠ニ御難志ゆうの処志かれども百姓共を御あ
われみ被成御救米御米拾四俵当村江被下候間破損ニよりそれ
〴〵高下を付村役共ニて割渡被下候事誠ニ有難き仕合せに奉
存候我等破損本家八分つぶれせついん皆つぶれの処右の御米
弐斗弐升被下難有奉存候
菊川町友田鈴木重平氏宅に伝わる古文書を、同氏の御好意
により、昭和二十四年夏に同氏に読解していただいたうえ
写させていただいたものです。 大庭正八記
当主 鈴木邦太郎氏
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1053
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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