[未校訂](松富屋の記録抄記)静陵散人
一 安政の大地震
静岡本通三丁目故藤波甚助方は松富屋といふ屋号であつた静
岡史料編纂の最初の嘱託員であつたが、まとまらなかつた。
この人は英語の教師をし私塾を開いたことがある。明治二十
年頃には古着商を営むでゐた。火災にあつて土蔵をおとしそ
れから身代がひけ目になつた、英語塾は屋形町にあつてその
後本通り自宅の横手に洋館を建てた、その洋館も今は医者が
はいつてゐる、甚助の父であらうか蟻斎といふた人に世事百
談といふ随筆がある、外にこの人の心覚えの記録がある、目
に触れ耳に触れたまゝの心覚えである。されば幕末に於ける
駿府を知るのたよりになる、それの散佚を恐れて拾録する。
甚蔵さんの家の焼けた火事は明治何年であつたか土手通の焼
芋屋から出て屋形町の病院が焼けた、病院は西洋造りで三階
があつた、その窓から火を吐いたのを住吉さんで見てゐた事
がある。甚蔵さんの土蔵は夜あけてから落ちたので、甚蔵さ
んが桃色の汲帯をしめて「おらんとこのクラをたすけてくれ
ろ」と呼はつてゐたが土蔵の窓から火を吐き出して陥ちた、
桑名屋の土蔵はグルリ家を囲むだ角家であり、大丈夫だと風
下では気強く思はしめたが、皆な陥ちてしまつた、妙泉寺の
焼けたのもその時であつた、板葺家屋には苔が生えてゐた程
に古い長屋もあつたが焼けてしまつた。
私はそれを見てゐたことがある。
記録に安政の大地震のことがある。私がいまそれを抄録して
ゐると、アノ時の甚助さんのアバタのあるぬけあがつて額の
広い顔がありありト目に浮ぶ。
嘉永七年寅十一月四日(巳の日)朝五ツ時大地震、天気快晴風な
し、松富屋に藤枝長楽寺町谷屋惣吉が商ひに来て居て当家を
仕舞つて本店へ出掛けた跡であつた、本家の母がゐて歌吉五
歳祝ひの話しをして帰つた跡であつた、この松富屋は分家で
ある、記録によると、
松富屋伊左衛門から分家したので甚助は藤枝在土瑞の藤田
甚右衛門の五男で山名屋清七が仲人で天保十年亥四月二日
に入聟しその年妻女姙娠翌十一子年三月十日豊女出生母諸
とも無事に成長し翌十二丑年を過し十三寅年の十一月六日
に分家し翌卯年に満(一字不明)三郎がうまれ追々仕合せよくな
つた
とあるからこの甚助といふのが蟻斎であつて分家した人で英
語を教えた甚助は二代目ではなかつたらうか。
地震は強くなつた、甚助は表へ飛び出した、家内は縫ひ物を
してゐた、歌吉も駈て来た、近所の人々も駈出した、皆々集
つて手を曳き合ひ丸くなつてゐた、東西に揉れ南北にころげ
如何なることぞと途方に呉れた居宅も潰れ、本店も紺嘉、か
じ平、稲葉屋、亀甲屋、紺常七軒潰れた、紺嘉の土蔵もつぶ
れた、二丁目一丁目四丁目も同様であつた、桑名屋清衛門は
土蔵作であつたが三丁目にころび掛り、その節逃出した横町
かしや春蔵家内三人敷潰れ油屋でも子供衆守二人死むだ、そ
の外四五人も死人があつた様子で怪我人も五六人、鯛仙、鯛
治方にも下敷になつた人があつた、江川町の砂張屋から出火
し新谷町、紺屋町、伝馬町、花陽院門前町、猿屋町、御鋳物
師町、院内町、上横田まで下横田は半町ばかり焼け、台所
町、鷹匠町与力衆一軒焼けた、出入の大工が見舞に来た一朱
づゝ酒手をやる、地響がする、今晩居所がない、伊豆伝持控
の向ふ裏の畠を借受けて小屋作をしてそこへ打寄つて居宅と
さだめた、誠に嬉しいことでこの上もない喜ばしさであつた
が、この世はこの儘に滅するかも知れぬと思ふと生きて残る
ことは思はない、金銭も家財も打捨て無慾になつてしまつた。
五日 天気にて大寒氷はる、今晩より自身番が始まる、半
夜交代で拍子木、金だらひを打たゝき夜まわり殊の外厳重で
あつた。片側は立切りであつた、伊三郎喜三郎、半蔵の表が
こひをなし昼八ツ過、鉄五郎、代蔵、浅次郎外一人の潰家を
取片付た
七日 天気少曇 新五遠勘米四俵持参、先方へも見舞に出
た所、沖キス塩のひもの一本をもらふ、夜新一伊勢屋から古
酒一升沢庵漬五本受取
八日 天気 十丁目の吉祥寺から見舞として桜飯一櫃大根
ぐつ煮一鍋を送つて来た、丸棒佐助、川口吟之助据風呂を持
ち来る、酒を出す
九日 曇大風昼過ぎ雨になる、手前裏へ引移、奥脊戸へ小
家を作り木部屋を取片付所々に借住居、八ツ過中地震、先月
六日横田米屋与兵衛類焼ふとん一枚見舞
十日 天気大風、本家質店破損取片付、新一伊勢屋善蔵見
舞に来て手伝ふ
十一日 天気大風、石部岩五郎見舞に来り大根五本持来
る、時々響地震、大工町米留から米弐斗取、両に七斗位
十二日 天気、小家掛木取始、喜之助一人にて
十四日十五日 天気静、杉丸太弐本買二人廻代金一分、本
店遣ふ、以前は石木二本六匁位覚ゆ安一材文支払岡部杉山よ
り南部□□□□上石町丁頭三右衛門より受取歌吉五歳祝ひに
つき小はた、いなだ一本、花川より買受け先祝の営みをなす
十六日 曇寒大雨夜に入て大風、土蔵瓦等吹落
十八日 天気大風、小家立
十九日 天気、松野喜左衛門竹一束見舞持参
二十日 小屋家根ふき
二十二日 天気静 中地震 自身番二人宛になる
二十三日 曇昼過雨降、大師講粥小家にて喰ふ
二十四日 天気、研屋町徳八はんへん十一見舞
二十五日 曇昼過雨、あふだれ建、へつゝひ作、さわら片
身、いなだ二本、ぼら五本内三本いつ伝へ礼につかはす右代
一貫百文
二十六日 雨降、家うつり
二十七日 天気大風家根板吹落す始て暖簾掛
十二月五日 天気 夜大地震
同二十五日 座敷建前
同二丁八日 大工日雇休、松野権次郎のむすこ炭持参掛目
十二貫五百目代四百七十八文
十二月年号安政元年と改まる