[未校訂]「かもむら」
話し手 古屋キワ女(当時九六歳)
聞き手 宮石 貢氏(当時四五歳)
年月 昭和十年四月
場所 キワ女の自宅
状況 この当時 失明していたが壮健で、意識は明り
ようだつた。
安政大地震は、安政元年霜月四日四つ刻(一八五四年十二月
二四日十時)に起きた。当時、古屋キワ女(古屋武雄さんの
曾祖母)は、神田の番匠屋(長島謹吾さん宅)で養われてい
たが、口頭記録はこの時の記憶を宮石貢氏が書きとめておい
たものです。
聞き出した内容は、断片的ですが次のようなものです。
(地震について)
○神田の公民館の裏の大岩は、この地震の時、山から落ちて
きた。
また、大道(今の村道)が砕けた。
○発多沢の近所は、大きく砕けた。
○地震中「ドンドン」という音がひびいた。
○番匠屋(長島謹吾さん宅)の母は家がゆれて庭にころげ落
ちた。
○清水(宮石英夫さん宅)や隣屋(山地光彦さん宅)の老人
は、向山の藪の中に泊りに行つた。
○地震になる前の天候は、雨になるか、風になるか、とにか
くトロなぎだつた。
○寺の石塔が倒れて、何本も砕けた。
○御座松(神田背戸山、稲荷岩の上の山頂にあつたが、今は
枯れてない)に、この年十月一三日(地震の前)と思う
が、大きな火の玉がとんだ。
○背戸河原にも大岩が落ちた。
○小さい地震は、この年いくつもあつた。
(津波について)
○大きな地震だつた。その間に「津波だ」という村の人たち
の話し声を聞くことができた。
○津波は、郷村の下(旧役場の上の交叉路)まで、押し寄せ
ている。
○宇久須川をさかのぼつて、大明神さん(宇久須神社)ま
で、波先がきた。
○浜の現在のやいど付近では家が、六~七軒流れた。
○[神田|じんでん]の大屋では田三反歩(約三〇a)が流され、芝の奥
(鈴木利彦さん宅)では、うまやの天井に子牛が二ひき、
水に浮いて水がふえるたびに、上へ上へと上つてきた。
○大川(宇久須川)は、すつかり赤にごりになつた。
○浜では、祭のもちをついたが、ほとんど流してしまつた。
○清水(宮石英夫さん宅)では、浜に出してあつた炭をたく
さん流した。深田と米崎でひろつた炭が、六〇〇俵からあ
つた。
○底魚の大きいのが干上つた。どこの浜へも、四~五尺(一、
二m~一、五m)のものがあつた。
○不来坂のふもとに牛がたくさんつながれていた。
○波が高く慈眼寺の前で波がうつた。
○安良里では、小さな家をたくさん流した。
○立沢洞まで、船が波のためにうち上げられた。
(資料は宮石英夫さん提供)