[未校訂]編・岐阜県恵那郡山岡町発行
安政東海地震、各地よりの報告書写
田代 玉木実家所蔵
(表紙)「 大地震ニ付諸家様より御届書写
江戸表より上野氏江到来写 」
(注、〔御写物〕他と同文の大名届は省略)
三度飛脚小島権兵衛・貝屋左衛門より届
恐れながら口上書にて申しあげ候
一当四日大地震にて、大坂市中損所多く、崩れ家阿八座にて
三・四軒ばかり、久太郎町どぶ池辺りにて二軒、南橋四丁
目十四・五軒、堂島にて土蔵よほど損じ、京町堀はね板橋
辺りにて五・六軒ばかり、奥屋一連兵庫町辺り七・八軒ば
かり、もつとも、出火致し候えども早々打ち消し申し候。
鰹店にて三・四軒、下寺町、中寺町はよほど潰れ家に相成
り申し候
一同五日申の中刻より、四日同様に震動厳しく、崩れ家多分
これ有り、在町にて三か所ほど出火相成り候えども、早々
打ち消し申し候。その後空とも無く地とも無く雷の如く鳴
り、市中一統恐怖仕り候ところ、天保山沖より洪浪押し来
り、安治川舟場辺より老若男女数千人、御城の番場へ押し
寄せ、昼夜相凌ぎ申し候。洪波にて損所左に申しあげ候
一沖の大船残らず内川へ押し込め、安治川橋・亀井橋、道頓
堀川にて日本橋・汐見橋・幸橋・住吉橋、堀江川・長堀川
在皆々押し破り、橋落ち申し候。地震凌ぎのために川船に
乗り、川中へ夥しく出で居り候者、見事に残らず押し合
い、皆々大船も破れ崩れ申し候。死人何百人とも相分り申
さず候
一勢州山田辺およそ三・四分通り潰家に相成り、大湊・神
明・川島・鳥羽、いずれも津浪にて流家多分に有り、松
坂・津辺り右に準じ、白子・神戸・四日市辺り崩れ家よほ
ど有り、桑名一向に手[軽|がる]、かつ上方道中筋手軽に御座候
一東海道筋・三州路手軽く、三分崩れ家有り、荒井・舞坂津
波にてよほど荒れ、浜松二分通り崩れ家に相成り、見附三
分通り崩れ、袋井七分通り焼け、懸川丸残け、日坂三・四
分通り焼け、藤枝三・四分通り焼け、府中半分ほど崩れ焼
け、江尻七・八分崩れ、蒲原丸焼け
右の通り申し来り候間、この段御達し申しあげ候
寅十一月
一右のほか御届けこれ有り候えども、追つて申しあげ候。か
つまた、箱根山中も悉く荒れ申し候由、富士川は水少しも
これ無く相成り候由、豆州下田表は大洪波にて、八分通り
人家流失の趣に御座候。この節、[魯西亜|ろしあ]船碇泊中のとこ
ろ、四日の洪波にて、魯西亜船よほど波損仕り、帆柱その
外なども悉く損じ候由、もつとも、洪波最中は何方へ参り
候や、浪に引き蔭れ相見え申さず候由、沖にて破舟仕り、
漸く下田へ着岸の趣に御座候。右につき、退舟でき難く、
修覆相願い候ところ、下田表は洪波にて荒れ、上陸致させ
候御場所これ無きにつき、去る十三日浦賀表へ御廻しに相
成り、浦賀に於て修覆中上陸致させ置き候由。もつとも、
右につき彼方武器類一式御取り上げに相成り候由。さてま
た、魯西亜船渡来につき、下田表へこの節応接として御出
役、御勘定奉行川路左衛門尉様・大目付筒井肥前守様・御
勘定吟味役村垣与三郎様御越し中、洪波にて御旅宿など残
らず流失仕り候えども、御上には御滞りなく御立ち退きに
相成り候えども、御家来士分も二・三人、そのほか下供の
分は八分流死仕り候由に御座候
一江戸表は、近年に無き大地震には御座候えども、少々ずつ
の破損所はこれあり候えども、多分の儀は御座無く候。左
に申しあげ候
一鼠山・王子・板橋・巣鴨・大塚・目白・小日向辺りは格別
強く当り申さず候。小石川辺り・御茶水・本郷・浅草・本
庄・深川辺り・小川町・飯田町・丸の内筋などの地・八丁
堀・浜・芝辺り・麻布・目黒・四つ谷・赤坂・市が谷辺り
は、よほど甚だしく相当り申し候由
一御屋敷御近辺にて強損し候ところは、先ず水戸様御屋敷に
ては、牛天神下通り御囲い土塀震れ潰れ申し候。そのほか
表通り御土蔵五・六か所御破損に相成り候
一小川町は高松様御上屋敷御長屋、屋根瓦落ち申し候。その
ほか所々破損、同所御中屋敷表通り御土蔵二棟あり、両方
とも鉢巻き落ち、屋根瓦悉く落ち申し候。御屋敷内にある
御土蔵は、半潰に相成り候もあり、かつ御長屋も所々損じ
申し候。かつまた、松平駿河守様御屋敷も所々破損仕り
候。そのほか、小川町通り御屋敷向きは、所々損じ申し
候。護持院原松平豊前守様御屋敷は大破にて、御土蔵も数
々損じ、御殿向きも崩れ、かつ破損仕り候由。一つ橋御門
渡り御櫓も少々壁落ち申し候。大手御門渡り御櫓も、余程
壁損じ申し候。そのほか、御囲い御堀向きも所々少々ずつ
損じ申し候
一丸の内にては、酒井右京亮様御屋敷表通り御長屋[海鼠|なまこ]壁悉
く震れ崩れ、かつ御玄関向き御殿、所々大破に相成り申し
候。そのほか、芝南部様御屋敷にては、御馬屋壱棟潰れ、
馬ならびに別当など即死の由、かつ御長屋敷向きも損じ所
有る由に御座候
一八丁堀・浜手辺り・深川辺りは、川の水悉く往来へ打ち上
げ候由。かつ赤坂辺りも御屋敷向き大破これ有り、地面は
れ候ところも御座候趣、先ずそのほかは格別の儀も御座無
く候や、未だ風聞参り申さず候
一当御屋敷は、一か所も御破損等御座無く候。水道町・太(小カ)川
町辺りにても、壁少々落ち候ところも有り候。かもん橋上
州屋にては、材木残らず江戸川へ倒れ、よほど流れ候由に
御座候
一去る二日、日光にては近年に無き大雪・大雷にて、所々落
雷仕り、御山向き所々へ落雷、大荒れの趣、専ら風聞仕り
候。誠に前代未聞に御座候。先ずあらまし風聞承わり候だ
け申しあげ候。なお追い追い申しあぐべく候
一浅草猿若町も残らず焼失仕り候。そのほか火事沙汰も先ず
無く、この節は先々物精(ママ)御座候
一当表地震も、四日辰の下刻より震れ始め、三日ばかりも励
しく、度々昼夜にかけて相震れ候えども、この節にてはお
りおり少々相震れ申し候。先々駿州は一番強く御座候由。
そのほか四国路・九州路も夥しく震れ申し候趣、かつ高松
様御領分も大地震、そのうえ洪波等もある由。かつまた、
当冬御廻米残らず破舟仕り候由。此方様には、誠に御運廻
米も残らず無難にて着き仕り候。もつとも、下田表へ舟懸
り致し候えば、流失も仕るべく候ところ、運よく下田湊へ
立ち寄り申さず、通に浦賀へ入船仕り候間、洪波の難にも
会い申さず候。もつとも、下田沖通舟の翌日の洪波の由に
御座候趣、誠に双方運のよき儀に御座候。大分諸家様の御
廻米破舟の趣に承わり申し候
安政元年寅十二月
村上
藤原桃可写之