[未校訂]甲府大地震の記
嘉永七年甲寅歳次冬十一月四日朝五ツ半時大地震、野子日業
故会所に出勤いたし居り、常〳〵雷鳴と地震には人より多く
恐れし事故、直ニ往還へ駆出し宿へ駈付んとせしかと、最早
家々の棚より壁落る音・家蔵の倒るゝ音夥しく歩行立事を得
す、暫くする内漸く震れ止み、上下を見渡に家・土蔵の崩れ
し土烟りにて一体にくらく月夜の如し、馬は往還に倒れ、人
はひれふし、一ツとして動く物なし、兎角する内出火と云ふ
騒ぎにて、漸く人八方に駈出すに、出火にあらす、皆家蔵の
倒れし土煙りなり、野子も家に帰り見るに、幸に家内に怪我
もなく、追々町々の様子を聞くに、柳町二丁目・八日町壱丁
目・魚町二丁目の辺別而強く、家・土蔵多く崩れ、八日町若
七にて女即死壱人、同町奈良甚にて女壱人大怪我翌日死す、
柳町壱丁目大増にて下女壱人即死、柳町四丁目ふし彦にて雇
男壱人即死、山田町壱丁目手習師匠坂本一鳳軒にて弟子、八
日町安部屋の八歳になる娘壱人即死、怪我人三十余人、御城
追手御橋前先年湯湧出し所近年絶し所江再ひ湯湧出る、教安
寺境内に一ケ所湯湧出る、其外所々掘ぬき井戸水多く湧出
る、夫より昼夜震れ続き、家々に仮小屋を立て是に住む事十
日余り、追々日を経て駿・遠・大坂・豆州下田辺の様子を聞
くに夥しく地震つなみ高波にて、或ハ引れ或は倒れ目も当ら
れぬ有様也、甲府の難有事には家々潰れし者に御救米下さ
る、御国恩の難有事報ひかたし、且当国にてハ元禄・宝永・
天明の度大地震ありと老人の伝へる処、古き文にも見へたれ
とも是程の事はあらすと見へたり、愚按するに此地震は一陽
来復の時に当り、地震とあれハ復は来春の新しきに復(ママ)れは一
変して代々万歳の基ひ、又同月十六日大雪降、雪は来る年の
豊年といふ伝へ、いよ〳〵五穀成就万々歳の基ひと知るべし
東光寺村分内に七所湯湧出る
(中略)
○嘉永七寅年十一月四日駿府大地震ニ付御城久能山御宮の外
近国御取締為御見分御用同十一月十五日駿府御着
御目附
大久保右近将監
御目附持(ママ)格
御徒目附
太田子之助
御勘定組頭 同
吉川幸七郎 伊庭保五郎
御勘定 御小人目附
直井倉之助 四人
同
猪俣英次郎
嘉永七年寅十一月四日五ツ半時地震ニ而潰家数并人別取調
書
一
家数八拾壱軒
人数三百八拾四人
柳町
一
同四十八軒
同四百八人
八日町
一
家数三十軒
人数弐百六十九人
魚町
一
同拾九軒
同百五十二人
三日町
一
家数三拾弐軒
人数百八拾人
山田町
一
同拾壱軒
同七拾四人
上連雀町
一
同弐軒
同二十八人
緑町
一
同五軒
同二十四人
鍛冶町
一
同三軒
同十七人
桶屋町
一
同六軒
同二十九人
穴山町
一
同八軒
同五十二人
立近習町
一
同七軒
同四十六人
横近習町
一
同六軒
同三十二人
金手町
一
同三軒
同十三人
上一条町
一
同七軒
同二十二人
下一条町
一
同六軒
同三十七人
和田平町
一
同九軒
同五十五人
城屋町
一
同弐軒
同十二人
竪町
一
同弐軒
同十一人
白木町
一
同弐軒
十二人
新紺屋町
一
同弐拾軒
同四十一人
横沢町
一
同十三軒
同五十一人
相川町
一
同八軒
同四十一人
新青沼町
一
同弐軒
同八人
元三日町
一
同九軒
同五十五人
一蓮寺地内町
町数合弐拾五町 惣家数三百四拾壱軒
惣人数弐千六拾七人
内 男千百八十七人 女八百八拾人
内 怪我男三人 女弐人 即死女三人
同加勤方取調人数覚 此人数者御救米被下候
惣人数弐千三拾七人 内男千百五十四人 女八百三拾五人
内訳
皆潰之分千五百弐人
内
男八百七十八人 此米四拾三石九斗
女六百弐拾四人 此米拾八石七斗八升
味噌百五拾貫弐百目
塩七石五斗壱升
半潰分 五百三拾五人
内
男 弐百七拾六人 此米六石九斗
女 弐百五拾九人 此米三石八斗八升弐合
味噌 弐拾六貫七百五拾目
塩 壱石三斗三升七合五勺
惣〆七拾三石四斗五合
此俵 弐百九俵弐斗五升五合
味噌 百七拾六貫九百五拾目
塩 八石八斗四升七合九勺
半潰之分右半減之割合ヲ以被下候(後略)