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項目 内容
ID J1800132
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔幕末小笠原島日記菊池作次郎御用私用留〕S58・9・25 田中弘之校訂・緑地社
本文
[未校訂](文久元年十二月二十日、父島の項、父島頭セイボレとの掛合)
一当湊江日本船なりとも、異国船なりとも退(滞)船いたし候事も
有之哉
一異国船之義は前(毎)年三月時分ゟ八、九月迄は数船汐掛り仕
候。猶亦日本船ハ七ケ年已前壱艘漂流いたし、退(滞)船罷在
候折から、当島切開きてゟ始メて〔の〕大浪来りと思ひ
候ニ付、山の上へ登り見居候処、其浪ミ引取り候節ハ当
湊之汐不残引去り申候時、日本船何レ江失ひ候哉相分り
兼候。其時私共住居家も不残被流レ候。尤人民ニハ壱人
も間違等ハ無御座候、右難義前ハ当島ニも余程之人数屋
根数有之候得共、其時ゟ本国へ帰り候者多し
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 392
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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