[未校訂]安政元年六月十五日 大和大地震(今より七一年前) 十五
日午後十一時頃に発したる大地震にして、大和北部、山城南
東部、伊賀北部に震動最も激しく、伊賀上野城破壊し士女二
三百人圧死す、上野町附近にて死者六百、潰家二千三百、伊
賀四日市にて死者百六十、潰家焼失家四百、奈良にても潰家
七八百軒、死者三百に達せり、紀伊の模様明らかならざれと
も和歌山にては家屋築塀等の崩壊あり、強き震動を感じたる
ものなるべし。
嘉永六年の地震 嘉永六年六月十五日未明、大和、伊賀、
伊勢を中心として隣国を震蕩する大激震起る、震源は郡山、
奈良、上野、四日市を貫通して殆ど東西に向へる細長き地帯
にして、此の地方に於ける死傷者三千三百名、倒潰八千四百
戸を超ゆ。之より先、六月十二日伊賀の上野に於て先づ前震
を感じ、十三日正午には奈良及び津にて之を感じ、同日午後
二時頃津にて、十四日午後二時頃奈良にて亦之を感じたる
か、十五日午前零時頃に至りて遂に強震を感じ二三時間を経
て、其の明け方、更に上下動を伴へる激震起り、夫より十六
日、十七日まで二三回の小動あり、皆、出て避難せり、今之
を田辺及び日高の記録に徴せんに、(万代記)に云ふ、(注、
他出につき略)(蓮専寺記)に云ふ、(注、他出につき略)我
が郡は格別の被害なかりしと。