[未校訂]嘉永七甲寅年六月十五日大地震之趣紀州ゟ申越候書状
写
去月十五日暁七ツ時天地雷之如鳴渡り候ニ付目覚候処戸障子
其外一時にこけなにことゝ存先ツ表之方江罷出候処大地震ニ
而諸方見るかげもなく相成早速大小対(ママ)し殿中江罷出御朱印如
何と存罷越候所殿中向諸々大破ニ罷成居候ニ付夫ゟ近所近辺
江罷越候処同趣之有様ニ御座候夫ゟ外々之咄承り候所諸国之
地震ニ御座候人馬は不申及死人多分候事ニ御座候先ツ大分之
方ゟ申上候大和国伊賀国伊勢国若狭国近江国河内国和泉山城
摂津尾張美濃三河丹波播磨但馬美作因幡国先あらまし之所申
上候廿二国と申事ニ御座候得共私共承り候分は右之通御座候
此度之地震は誠ニ広き事ニ候手前小家なぞも誠ニあわれなる
事ニ御座候とても早速ニは手入出来兼候諸番人なそは弐人前
三人前之扶持料ニ御座候間[兎|と]而も早速ニは参り不申候仕合御
座候銘々小屋掛ニ而日夜暮し罷居候十五日之夕方は大雨雷ニ
而婦人なそハ壱人も生而居る心持なくと存候旨咄くらし居候
私義も以前古郷之地震は大坂表江参り居出合不申候処此度之
地震ニ而大キニ驚入候古人ニ承り居候大地震之節ハとてもあ
るく事ハ出来ぬと申候処此度ニ而はつめい致候とても家のた
おれ候位之が参り候ハゝ歩む事ハ出来不申今以少々ツゝ七八
度も参候得共諸人驚入夜もふせり不申候而日暮居候荒増申上
候 以上