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項目 内容
ID J1600166
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔神戸平原地方郷土史 後〕▽ 伊藤清太郎著
本文
[未校訂]荒木山万福寺
神戸町大字南十日市町にあり。地震の為堂宇倒壊安政二年十
二月再建せられたり。
小倉山万性寺
大字小倉にあり、安政元年六月十五日地震の為に本堂倒潰し
(以下略)
擕松山来教寺
大字本郷にあり、安政元年の震災に遭ひ倒潰す。
海松山立法寺
大字南五味塚にあり、安政の震災に会ひ本堂潰滅す。
欣浄山信最寺
大字北五味塚にあり、安政元年地震に破壊せしも越えて五年
住僧旭潭土工を起し翌年三月落成す。
川照山王久寺
大字川尻にあり、安政元年六月の大地震には堂宇倒潰(以下
略)
南林山法蔵寺
大字貝塚にあり、安政元年の震災に遭ひ堂宇倒潰せしも檀徒
の協力により安政三年再建せられ以て現時に及べり。
浄輪山法泉寺(○四日市市塩浜)
字一色にあり、安政元年震災の為本堂倒潰同四年に至り仮堂
を建て以て今日に至る。
円明山金剛寺(○四日市)
塩浜字馳出にあり。安政元年六月の大震に堂宇倒潰せしかば
明治五年六月本堂再建成就す。
天祐山浄福寺
塩浜字馳出にあり、安政元年の大震に火災にあひ寺宝記録を
失ひ往時を考ふべき遺物を存せず。
久間田村
久松山保智院
大字下大久保にあり、安政元年地震の為堂宇悉く頽壊せしを
以て同四年僧慈俊再造営して旧観に復す。
鹿苑山海善寺
大字鹿間にあり、安政元年六月十四日大地震の為堂宇倒潰せ
しを以て同五年五月僧法定の再造により旧観に復す。もと字
古屋敷の地にありしも明治四十四年今の地に移す。
庄野村
瑞雲山妙法寺
大字庄野の中央東海道の東側に位す。安政元年の大震に倒潰
しその後現在の寺堂造営せらるといふ。

僧舜譲 大字正覚寺の住僧なり、安政元年六月の地震は災害
甚しく寺院の倒潰数を知らず、桑名役人出張して倒潰原因
を問ふ、他の僧悉く地質建築に帰す。和尚一人は末世の僧
侶の背徳先ず天譴を寺堂に加へしなりと答へたりといふ。
○「平井家役用日記」より

注、〔神戸町年寄磯部宇右衛門「役用日記」〕と同内容に
つき省略
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 170
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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