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項目 内容
ID J1600118
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔藤井此蔵一生記〕▽「日本庶民生活史料集成 一」
本文
[未校訂](南近畿の状況を述べる部分だけ掲げる なお原文は十一月
五日の地震であると錯覚している。)
 同時に紀伊・大和・伊賀・伊勢、都で近国大地震との事に
候。其後安政三辰春我等伊勢参り江州辺も所によりて土蔵宅
等大損し、既に御師宮尻神主の宅普請最中にて候。伊賀国上野
の城石垣等崩亡候にて、是亦普請中也。同城下西麓の一村、
大地五尺斗沈み候由、溺水にて百性住居難成願出候。先す溺
水防きの為村の廻り江高さ壱丈斗、長さ壱里十六丁有之由。
堤を築き大水防き備へと承り候。是又普請最中にて候事。都
て此辺は目も当てられざりし事。夫より奈良法隆寺・当麻寺
大伽藍堂塔多少損せざるはなし。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 128
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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