[未校訂]嘉永七年六月十五日(十一月二十七日、安政と改元)上野地
方に大地震があった。世に安政大地震というのが之れであ
る。此れは上野市街の倒壊家屋の分布図であった。此れによ
って見ると、武家屋敷に倒壊家屋が多く、三筋町にそれが少
なく、東西の通りよりも南北の通りに倒壊家屋が多かった事
は、武家屋敷と町人家屋の構造の相違、地震の方向などを知
り得るものとして注目すべきものである。又安政元年頃の武
士の居家敷がわかる事も其当時の上野図がない今日大切なこ
とである。
(注)
右の文章はこの図を展示したときの説明文である。この
図は大きく、掲載は省略する。図には、御家中倒家、町家
倒家、地形クエ込、道、土手、棟其儘ニ而残候、の六つが
色で区別され、上野城下町の被害が一目でわかる詳細なも
のである。なお次の文が図中に記されている。また図中に
ある町毎の倒家数をまとめてあるものとして〔古地震〕所
収の表があるのでそれも掲載する。
一加判奉行預り手代長屋同心部屋并物頭預り組部屋過半倒又
は大破之向も多分御座候
一番頭高知家来共屋鋪并自宅共過半倒又は大破之向御座候
上野町方被害一覧表(大長氏作成)
№町名倒家1)2)3)死人男女計家数4)人口5)倒壊率(%)死亡率(%)震度
①赤坂町一〇一〇四二六八五三八一一二一・六Ⅵ
②車坂三五三五四一五一八五八九四一九〇・六Ⅵ
③田端町一七一七三二五八七四〇〇二〇一・三Ⅵ+
④裏町一二一二一一二六二一九八一九一・〇Ⅵ
⑤寺町四四三二五三七一四八一一三・四Ⅵ
⑥池町三一三一五三八四八二九二六五二・七Ⅶ
⑦桑町―三一〇一一三七七四一二〇・一V+
⑧恵美須町一九一九三四七一〇六四七九一八一・五Ⅵ
⑨東日南町一〇一二三三六三七一七六三二三・四Ⅶ-
⑩西日南町一二一〇四一五五九二六〇二〇一・九Ⅵ+
⑪愛宕町一〇一〇三〇三一二九六一七八〇・五Ⅵ-
⑫新町一八一八二四六五〇二二三三六二・七Ⅶ-
⑬鍛冶町七――――二三一一八三〇―Ⅶ-
⑭相生町三―六三九二二一三二一四六・八Ⅵ
⑮魚町二五二五二二四七二二九八三五一・三Ⅶ-
⑯東町一〇一〇二二四六八二二八一五一・八Ⅵ
⑰中町一一一〇一六二二九三二〇・三V+
⑱小玉町三二三二三二五九〇四〇九三六一・二Ⅶ-
⑲紺屋町二一二一一〇一七四三五八二八〇・三Ⅵ+
⑳三之西町一五一五―――四二二一七三六―Ⅶ-
㉑徳居町九九二一三四二一七六二一一・七Ⅵ+
㉒福居町三二三二―――七八三四六四一―Ⅶ-
㉓西町四四〇二二六九三二五六二・九Ⅵ-
㉔向島町八八〇四四三九一四〇二一一〇・三Ⅵ+
㉕馬苦労町六八六八一一一五二六九六四六八七一五・六Ⅶ
㉖幸坂町清水町三二二四三二二四}四八一二五一一五二〇二八九}八五四・一Ⅶ+
計四六九四六二六八六二一三〇一八六五八六〇八二五一・五Ⅵ+
注記1)は『伊賀上野安政地震市街崩壊図』上野市 沖森直三郎氏蔵
による。
2)は『伊州御城下破崖損所絵図』上野市 岡森明彦氏蔵によ
る。
3)は『万福寺過去帳』上野市 万福寺蔵による。
4)5)は『阿拝郡上野市街明治地誌』明治十六年刊による。