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項目 内容
ID J1600084
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔神戸町史〕○岐阜県安八郡S44・8・27
本文
[未校訂]安政の地震 安政一年(一八五四)六月十五日、地震があった。
藩では翌日、堤の破損調査をしている。
一今暁地震に付、其村々御堤通り破損所無之候哉否、為見
分、明十六日未明出達罷越、出向次、案内可被申候 以上
(嘉永七)六月十五日 御普請方
右村々名主
(嘉永七年触書留写帳・傍鶴氏控・林周教文書)
これは大垣藩から柳瀬筋の村々に宛てたものである。
この地震によって、柳瀬村では全壊一戸・半壊八戸を数え、
その救助手当も行われた。
「覚
一米壱斗 柳瀬村 喜助後家
是は 地震の節、居宅及潰候付、被下之
一同三升三合充 同村 恒吉後家
甚七
儀助
利助後家
甚六
兵助
谷蔵
源次後家
是は 右同断、及半潰候付、被下之
右は為御救、書面の通、当秋日折米を以被下之候、此旨
御申渡可有之候 以上
嘉永七寅十二月十二日 郡奉行 印」
(林周教文書)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 86
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 安八【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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