Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1600039
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔諸事見聞書〕淡路島北淡町 土肥家文書
本文
[未校訂]嘉永七とら年六月十四日大地震処々変写
一勢州四日市大地震民家崩れ其後出火ニ相成八九分(カ)通焼失申

一南都東大寺大門崩れ元興寺塀くすれ町家一人も宅居不申我
一(先)と興福寺内へにげ込怪我人死人多分有之候よし
一郡山柳町通り壱丁目ゟ四丁目迄不残崩れ怪我人多く候よし
一大津三井寺山崩れ出し、膳処(所)様之御城角矢倉四ツ湖水へ落
込候よし
一伊賀上野御本丸大手御門崩れ町之内七八分打倒れかきや之
辻より黒門迄出火ニて不残焼失申候浜之原ゟ鳥山原迄清水
わき出田畠とも壱面ニ相成沼(泥)海の如く
一参州岡崎矢はき馬橋落小川大川共□ニ相成溺死相知不申

一越前之福井丸焼ニ相成広野の如し
一和州笠置辺より大石崩れ多く落夫より沼(泥)水わき出壱面ニ相
成海之如し木津川之内淵ニ相成候処多く有之よし
一大津町家四五十軒死人三拾八膳処(所)草津辺と石部大野百軒斗
死人拾人斗水口五十軒斗四日市死人五百人斗土山橋(ママ)鼻拾軒
斗関山宿より先ハ通路無之南伊勢ハ無難北は甚しく右之通
怪我人夥しく御座候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 62
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.002秒