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項目 内容
ID J1500416
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔橋本実麗日記〕京都宮内庁書陵部
本文
[未校訂](十月)
六日丙申 晴 今日不参如例伝聞関東去月廿八日当月二日等
大震、其後大火云々、両丸無異歟不知実否
十日庚子 晴 依御用閑不参、伝聞去二日依関東大震為国家
安全被仰、於七社七ケ寺御祈、奉行蔵人左少弁経之云々
十一日辛丑 陰晴時々雨下己斜参
従関東花野井御方御状到来、大震之節及館中大破於表は怪
我人或死傷者雖有之身上御無異之旨又勝光院御方早速御尋
訪之処是亦無御別旨告知給珍重々々、一同安意恐悦々々、
遣於松平豊平守丹州亀城主当屋鋪使者大震ニ付無異否尋訪之処
使者帰報云、館中顚倒、其上焼失於主人は雖無異家僕従年
寄到末々六十七人内二人女馬十三疋等即死之旨也、言語道断
不便々々自余大小名如此類多端之由前代未聞宝暦年間関東
大震雖有之不如今度云々
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1892
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 京都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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