[未校訂]「十月二日夜五ツ半時頃大地震、此時江戸大地震にて大半潰
れ三拾六ケ所より出火にて四日四ツ時迄ゆり続き死人数知れ
ずという」(吉村庄屋の日記)
以上で知られるように安政一・二年はこの地方でも大きな
地震が続発した。江戸の地震について苗木藩は村々へ触状を
回し「江戸大地震の処上様御機嫌にて差障候儀もこれなく恐
悦に奉存次第に候」と領民に知らせている。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J1500377 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1855/11/11 |
和暦 | 安政二年十月二日 |
綱文 | 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕 |
書名 | 〔蛭川村史〕○岐阜県S49・3・30 蛭川村史編さん委員会編 |
本文 |
[未校訂]「十月二日夜五ツ半時頃大地震、此時江戸大地震にて大半潰
れ三拾六ケ所より出火にて四日四ツ時迄ゆり続き死人数知れ ずという」(吉村庄屋の日記) 以上で知られるように安政一・二年はこの地方でも大きな 地震が続発した。江戸の地震について苗木藩は村々へ触状を 回し「江戸大地震の処上様御機嫌にて差障候儀もこれなく恐 悦に奉存次第に候」と領民に知らせている。 |
出典 | 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2 |
ページ | 1866 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 岐阜 |
市区町村 | 蛭川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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