[未校訂]安政二年
十月二日夜、突如大地が震動し市中の家屋倒壊し圧死するも
のその数を知らず、その上諸所より発火して惨状は見るにた
えらざる有様であったという。地震の災害は直ちに国元に伝
り、不安は一藩の上に覆いかぶさった。藩よりは様子見届に
藤江銀右衛門、井口平馬が二人の足軽を同伴急行した。
阿部氏の上屋敷は勿論麻布にある下屋敷も倒潰、或いは大破
で上屋敷では在番の足軽植木藤右衛門が圧死、鈴木峯右衛
門、飯田雄吉、小田川准蔵、吉田太吉の四人が怪我で、麻布
屋敷に収容された。勿論藩主らには別条なく皆な下屋敷に避
難して無事だった。正耆はとりあえず江戸屋敷罹災状況を幕
府に届け出ると共に、詳細に調書を作成し改めて報告し白河
へも通報した。それによれば
一住居向不残潰 一表門并門番所同所長屋不残潰 一北
通門并長屋潰一棟 一同所東之方長屋半潰一棟 一東
通南ノ方長屋潰一棟 一同所通用門并門番所北之方長
屋半潰一棟 一内長屋潰三棟 一同半潰二棟 一厩半
潰一 一中間部屋長屋潰一 一稽古場潰一 一社潰一
カ所 一同半潰一カ所 一土蔵潰六カ所 同半潰一
一作事小屋半潰一 一即死十一人内足軽一人、中間五
人、女五人、怪我人十三人内侍分三人、足軽四人、中
間六人、外、下屋敷隠居并家中長屋土蔵共数ケ所大破
今度の地震による江戸屋敷の倒壊は天災としても、屋敷の復
旧は急を要する。その間、被害のわり方軽い麻布下屋敷に起
居して、再建の方策を講ずるにしても、多年に亘る違作は益
益財政を窮迫に追い込んだ。それに期待していた遠州の分領
が皆無同様となり、その上「領分も違作損毛不少」る有様
で、いかに財政困窮しているからとて普請を放適(擲)して置くわ
けにもいかず、藩は江戸の費用縮減をはかることから、了解
を得て藩主の分量を減少するかわり、家臣からも知行借上げ
を断行した。