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項目 内容
ID J1500082
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔多志南美草 巻二〕「みちのく双書二十九」S46・1・20青森県文化財保護協会発行
本文
[未校訂]一十月五日夜四ツ時、江戸表は大地震にて、町家は勿論御大
名屋敷数多潰れ、右に付処々より出火に相成、如何なる広
き江戸とは申ながら、残少に焼失、依之死人怪我挙て算ひ
がたき由。夫より日を経て追々の御便も、江戸御詰合の御
家中より御内々へ申下したる様子を承知仕候処、死人十万
人余。其昔回向院の立し時十万六千人の死者有之よし。是
さへ一方ならぬ昔語に相成有けるに、此度の義は前代未聞
の事。末代とても有がたし。尤此外大名屋敷の死人夥敷よ
し。言語に絶したる事に候。扨此両三年の大地震又は異国
舟の騒ぎ、江戸御本丸、西の丸、三度の焼失。内裏炎上。
其外、国々の天変地妖の事種々有之よし。松平の天下も末
に成たるやの噂。異国取合今にも初り可申様、公儀衆は松
前表への通行、仙台衆は御加勢被仰付、是か為に中奥(ママ)通人
馬の迷惑、宿々大難渋のよし。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1409
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 青森【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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