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項目 内容
ID J1400012
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔公用分例略記〕S41下田富宅編・東京書房社刊
本文
[未校訂][三八四]
申渡
今般地震災ニ付悪もの共立廻候節之手配并火之元慎方等厚被
仰出も有之間猶いさゐ申聞(ママ)与して来ル廿二日通行懸ケ其村方
江可相越間夫迄之処右両事無油断手当いたし可置候 以上
関東御取締出役
卯十月十九日 馬場俊蔵印
渡辺園十郎
武州多摩郡田無村
役人中
右御達書之義は安政二卯年十月二日夜四ツ時頃俄ニ大地震ニ
而江戸中潰家怪我人等も夥敷其上出火いたし焼失場所も多御
城内并御見付等も不残大破御堀土手通り大くづれ前代未聞之
事ニ候村方并最寄之義も居宅土蔵等大痛尤潰家は無之候得共
一同恐怖いたし候義ニ而右ニ付左ニ御触書写置申候(後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-1
ページ 183
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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