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項目 内容
ID J1300148
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔巡郷日記 十五〕
本文
[未校訂]○二月六日 雨ふり四時頃より雨休ミ、薄曇ニて暖甚シ
(波入村観音寺にて)
一夕七半時頃地震す、暫くあり大に震す内に居りかたく本
堂之前なる中庭ニ出居たり、本堂動き樹木の左右に動く
趣如何にも恐るへきもの也、[尓|しか]し大なる損所もなし、そ
れヨリ少しつゝ間合ありてハ震ひ出せり、然処平遠亭ハ
石墻を積みあけたる上ニありて、地震にハ些ト懸念の場
所なるを以、本堂の傍なる一ト間ニ転居す、時ニ中庄屋
小庄屋其外之者見舞として来ル
○二月七日 晴今日も暖過常
一今日も時々地震す、扨追々承るに大根島ハ元来岩にてい
つも地震軽き由、尤新田ある所抔ハ地われて水を吹出せ
し所あり、揖屋意東抔にハ大分損しあり、弓浜も損所あ
る由、松江辺之模様ハいまた知れす
一本庄にて始而松江地震之趣を承りしに、少々つゝの損所
ハあれとも大なる事なく、勿論死傷等無之由、先々安心
せり、[尓|しか]し西郡ハ余程之損所にて死傷もありし由也
「これヨリ日々少シツゝハ必地震あり一月中休ます」
一暮六前頃六過頃震それヨリ度々震し暁に至て又大ニ震す
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 291
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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