[未校訂]○わしが十五の年(明治四年)の十一月の一日か二日か
にゆって大勢山路へ逃げた。ところが山路では糸を
ひいとった(ひいていた)。山路と地下はだいぶんちがう。その日は
ちょうど母の[中回向|なかえこう]の時で、母が生きとってもおぶけ
て(びっくりして)死んだだろうといよった(いうていた)。
○いつのことかわっせたけんど(忘れたけれども)、米花にあおや(染物屋)を
しよった(しておった)時に地震がゆって藍がまけた(あふれ出た)。
(注、他の史料を総合して二日とみる)
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J1205056 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1871/12/13 |
和暦 | 明治四年十一月二日 |
綱文 | 明治四年十一月二日(一八七一・一二・一三)鳴門・広島(三回)・大阪・松阪・近江→三日広島 |
書名 | 〔昔の高島〕○鳴門市 |
本文 |
[未校訂]○わしが十五の年(明治四年)の十一月の一日か二日か
にゆって大勢山路へ逃げた。ところが山路では糸を ひいとった(ひいていた)。山路と地下はだいぶんちがう。その日は ちょうど母の[中回向|なかえこう]の時で、母が生きとってもおぶけ て(びっくりして)死んだだろうといよった(いうていた)。 ○いつのことかわっせたけんど(忘れたけれども)、米花にあおや(染物屋)を しよった(しておった)時に地震がゆって藍がまけた(あふれ出た)。 (注、他の史料を総合して二日とみる) |
出典 | 新収日本地震史料 第5巻 |
ページ | 552 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 徳島 |
市区町村 | 鳴門【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る
検索時間: 0.003秒