Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1203310
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1859/01/05
和暦 安政五年十二月二日
綱文 安政五年十二月二日(一八五九・一・五)〔石見〕⇨十八日
書名 〔大地震大変扣〕○備中小田郡笠岡村
本文
[未校訂]一安政五年午極月二日夜六ツ時頃ニ地震ゆり其ゟ同五ツ
時頃ゟ地震二度程ゆり其より夜内十三四度ゆり申候
皆々心配致申候皆々遁出し亭主之分は[家内|ヤウチ]ニをり家内
子供は皆出外家江ニ入(外江出家江不入カ)此内少々之地震はゆり申候得共
書写儀は無之分
三日少々ゆり四日夜弐三度ゆり六日夜少々ゆり其ゟ
少々ゆり候儀は有之候得共十二日七ツ時頃ゆり申候
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 394
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岡山
市区町村 笠岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.003秒