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項目 内容
ID J1201852
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/07
和暦 安政二年九月二十八日
綱文 安政二年九月二十八日(一八五五・一一・七)〔尾張・遠江〕羽前~広島間各地⇨十月一日
書名 〔青窓紀聞 六十九〕名古屋市蓬左文庫
本文
[未校訂]乙卯之四
江戸大地震ノ上附東海道武州地
○卯九月廿八日 晴天
中納言様今日六半時早ノ御供揃にて、熱田沖おゐて船軍
術等御覧ニ付、堀川惣河戸より御船ニ被為 召候付、右
両岸共拝見之者共未明より賑々敷候処、五ツ時頃御乗船
御通行相成候
帰御之節ハ熱田浜より御上陸、本町通り御早馬之由候処
御往之通御船之筈相成御船蔵并新田切ケ所等も御覧拝見之者共誠群集い
たし候処、夕六時以前強地震壱度有之候付、人々恐怖い
たし逃出帰り候者も有之、尤在宿之者ハ庭或は表へ飛出
候程ニ有之候、乍去御船中ニ而ハ一向ニ知レ不申位之由
跡ニ而承り申候、右
帰御之節堀川端両岸ニ御馳走挑灯を燈し壮観ニ御座候
夜五時以前益御機嫌能
御帰城被遊候、御供は竹腰兵部少輔殿・瀧川豊後守殿之
由、月番御年寄大道寺地震ニ付御座候所迄伺として被参
候処、最早御差懸り之由ニ付、惣河戸にて御待申上、御
供之御年寄衆と打連登
城、大河太八郎殿ニも伺として登城有之候由
但同夜小震十二三度有之、寅刻頃ニハ大鳴一度有之、
睡眠を覚し驚申候、同夜より町々おゐて皆篝を焚、神
社おいてハ神楽をいたし候、損所等ハ諸向一向承り不
申先々是限ニ而相済申候
見附篠原懸川等七里之者より右節強震之届有之道中筋破損等
ハ無之浜手村々ハ倒家等も有之候よしの書面也
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 156
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 名古屋【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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