Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1201393
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/06/24
和暦 嘉永七年五月二十九日
綱文 安政元年五月二十九日(一八五四・六・二四)京都
書名 〔井伊家文書〕
本文
[未校訂](前略)五月廿九日御奉行ゟ御達有之御屋舗御人数被指越
候節早速明渡可申旨被仰遣候様ニ御取□(出)要法寺ニてハ早
速御請ニ御屋舗江罷出可申所、地震ニて取廻役僧不行届
ニて(後略)
一同日昼後御所炎上跡并御所辺拝見仕候(後略)
(注、七月廿四日付大久保小膳よりの書状、御所炎
上のあったのは安政元年四月六日であり、その
炎上跡を見た五月廿九日は安政元年と判断され
る。また、場所は京都市中と判断され、安政元
年五月廿九日に京都において地震があったこと
が判断される
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 114
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒