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項目 内容
ID J1004264
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1843/04/25
和暦 天保十四年三月二十六日
綱文 天保十四年三月二十六日(一八四三・四・二五)〔根室・釧路・厚岸〕津軽・八戸・陸中・江戸⇨四月三日
書名 〔白糠町史〕
本文
[未校訂]白糠地方の昔の災害を知ることが出来ないが、たゞ天
保の地震による大津浪は、幾多沿岸地帯に大きな被害を
与えた。即ち日鑑記によると、
天保十四年三月二十六日前代未聞の大地震津浪暁六ツ
時、地震如例相心得、然る処追々強く依之拙内庭へ飛
出し、余は裏口より逃出す、漸時の間戸障子倒散、鶏
なども鶏舎より落ち少し静かに相成、通詞帳役番人両
三人見舞に来る、続いて重役中島俊蔵殿見舞くれ候、
内玄関に於て一寸挨拶誠に未曾有なること被申、詰所
など皆無に震破れ候と申帰る、それより諸方見分の処、
八幡社四五尺もいざり床落ち、門前の石塔・炉石仏等
皆々倒産、本堂前より庭処々四五寸位地割れ一同寒心
致居る処へ、会所より両三人奔走にて、つなみの由申
来る、内外にて承知由(仍)て会所の辺一望の所大海の如く
相見え驚入、俄に寺へ馳付け、其所へ支配人帳役入り
来り、大切なる仏御荷物皆々山へ御出し可有之旨申帰
る、和夷沢山遣し呉れ早々取調諸道具長持両掛へ相つ
め山へ持参、本尊仏舎利諸仏は場所鎮守社亀田宮へ安
置、拙、守護詰合其傍の社へ諸荷物守護、諸々一見の
処向岸の番屋夷家一軒不残流失、依て多分流死も有之
哉と噂申居候、云々
と、厚岸国泰寺附近の模様を詳細に書き残されているが、
そうしているうちに大波が二度大地震が六度もあって、
避難した亀田宮も危くなり寺の後の山に引越すやら、バ
ラサン岬も海中に崩れ落るさわぎ、「会所詰所の屋根柾飛
散ること片々雪の如く」と、その惨状を髣髴せしめてい
る。この震災で向浜の土人三十四人の流死下場所ポロト
で十一人『実に心配筆紙誠に尽し難く』とあるが、誠に
大震災であったらしい。従って白糠辺に於ても相当の被
害があったものと思われる。いまの白糠町役場附近の鉄
道踏切を越えた茶路川の沿岸に、キラコタンというアイ
ヌ語の地名があるが、この語意から昔津浪があった時、
此地に避難して住んだ部落という意味であるところから
考えて、或はこの天保の大津浪の頃から附けられた地名
でないかと思われるものがある。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 804
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 北海道
市区町村 白糠【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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