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項目 内容
ID J1002894
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/05/27
和暦 天保四年四月九日
綱文 天保四年四月九日(一八三三・五・二七)〔美濃・近江・福井〕⇨八月
書名 〔弘前日記〕○美濃
本文
[未校訂]天保四巳年弘前日記より抄録
美濃国大地震の図(瓦版)の文書
頃は天保四年四月九日午の下刻より十三日酉の上刻迄
昼夜止むときなく大地震にておよそ通(道カ)程十八里の間宿々
村々山崩れ地割れ泥を吹き出たし男女牛馬死すること其
数を知らず城下町家の人々往還に戸板を敷き或は畳抔を
敷凌かんとすれど大地割れて死するもの数を知らずワメ
ク声天地に響きてしゆうら道の如く目もあてられぬ有様
也、世は夢の如し恐るべし恐るべし。
一地震の区域北方、板ヤ村、板所村、仁王山、白山権げ
ん、池田山、片山村善蔵寺、中央呂久川渡し、久世川
渡し。
南方、南山セトウ権現、須又宿。
東方、長良川。
西方、赤坂宿、国ぞう山、本社岩。
一弘前日記方の本文。
右地震の趣き大垣家より承合候所返答左の通り。
当月九日午下刻御城下廻りより北山の村々大地震にて
御座候御城下より山の方十五里程北の山崩に有之通路
難相成見えて怪我有之様に候へ共不相分候去る十三日
大垣差立の飛脚去る十九日到着同二十一日頃御届差出
され候義に御座候
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 602
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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