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項目 内容
ID J1001805
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1819/08/02
和暦 文政二年六月十二日
綱文 文政二年六月十二日(一八一九・八・二)〔美濃・尾張・伊勢・近江・大和・京都〕本州中央部・四国
書名 〔我衣〕「日本庶民生活史料集成 十五」
本文
[未校訂]三一 目白の憂苦中、医業の繁昌に筆採るいとまもなく、
今年は随筆に怠る事凡百日余。勿論三月より此田舎に幣
(屛)居すれば、江戸の珍話奇説も聞えず。百日斗の間の事を
七月中の末に筆を採り始けり。駿遠伊勢近江辺の大地震
は、六月の十二日也。くさ〴〵の風説あれ共、記に不及。
七月廿二日七面坂の楽只亭を訪ふ時、御普請役兼松兵吉
来りて、右地震の見分に明後日出立せり。夥しき川がけ
等もありと語れり。夫に引かへ江戸は誠に少斗の地震に
て、予も椽側に居たりしに、たヾ一つゆら〳〵としたる
斗にて、地震にやと思ひし斗也。地震の説は前巻に記し
たる如く、一二里を隔て強弱あるは、前説の如し。諸子
も予が説に随ふ人多し。しかしながら天地陰陽の動静、
凡俗の智に斗りしるべからず。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 367
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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