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項目 内容
ID J1001785
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1818/99/99
和暦 文政元年
綱文 文政元年(一八一八)信濃
書名 〔都住村誌〕○長野県
本文
[未校訂]松川の石堤と水利組合
松川は本郡下第一の長流で源を万座山に発し笠ケ嶽、横
手、乳山、池の塔等の溪谷数多の細流を併せ更らに樋沢
川を呑んで西下し千曲川に流入する其間約三里に及ぶ。
文政元年大地震があつて昔から松川・中山田の中塩から
中村、馬場、矢崎などを迂回したのであつたが此地震の
ため今の流れに変つた。平時は何等の顧慮を要せざるも
一朝豪雨連日に及ぶことあらんか濁流九天直下の猛勢を
以て襲え来り山壁を崩壊し泥土砂礫は勿論大石をも押流
し橋梁は至る所破壊せられざくなく沿岸崩れ損して慓然
たるの状相に変するのであつた。斯のような荒川で水質
は至つて悪く酸性が極めて多量のため河中の石は悉く濃
度の茶褐色を以て染め尽され強力な生活力を有する昆虫
さい(ママ)生息することが出来ぬ程であるから鉄瓶鍋釜等鉄製
の器具は其保存力極めて短かく忽ち腐蝕して用を為さゝ
るに至る。只木製の手桶盥風呂桶等日常の木製用具に至
つては三代前からの古い物がたま〳〵保持されてあるの
は事実である。従つて煎茶をするには良質の水を求めな
ければならぬので雁田山麓の弁天池とか千曲の水とか其
他の湧水を撰んで運搬するより外に途はない朝未起(ママ)この
水汲みが列を為すのである。或は御茶水売りを業とする
ものもあつて、各住家の門の水汲場には漉水桶が備えら
れて飲用水は之れて清浄されてた。何故このような松川
の水でも築堤もし堰も設け水門も建て水利組合も設け利
用せねばならなかったのか科学的文化の発達せざる時代
にあつては何としても飲用水が先決問題で次ぎには田の
灌漑用水更らに防火用水も都住村の住民農本位の生活と
安住は悉くこの松川に依存せねばならなかつたのであ
る。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 363
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 都住【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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