[未校訂]松川の石堤と水利組合
松川は本郡下第一の長流で源を万座山に発し笠ケ嶽、横
手、乳山、池の塔等の溪谷数多の細流を併せ更らに樋沢
川を呑んで西下し千曲川に流入する其間約三里に及ぶ。
文政元年大地震があつて昔から松川・中山田の中塩から
中村、馬場、矢崎などを迂回したのであつたが此地震の
ため今の流れに変つた。平時は何等の顧慮を要せざるも
一朝豪雨連日に及ぶことあらんか濁流九天直下の猛勢を
以て襲え来り山壁を崩壊し泥土砂礫は勿論大石をも押流
し橋梁は至る所破壊せられざくなく沿岸崩れ損して慓然
たるの状相に変するのであつた。斯のような荒川で水質
は至つて悪く酸性が極めて多量のため河中の石は悉く濃
度の茶褐色を以て染め尽され強力な生活力を有する昆虫
さい(ママ)生息することが出来ぬ程であるから鉄瓶鍋釜等鉄製
の器具は其保存力極めて短かく忽ち腐蝕して用を為さゝ
るに至る。只木製の手桶盥風呂桶等日常の木製用具に至
つては三代前からの古い物がたま〳〵保持されてあるの
は事実である。従つて煎茶をするには良質の水を求めな
ければならぬので雁田山麓の弁天池とか千曲の水とか其
他の湧水を撰んで運搬するより外に途はない朝未起(ママ)この
水汲みが列を為すのである。或は御茶水売りを業とする
ものもあつて、各住家の門の水汲場には漉水桶が備えら
れて飲用水は之れて清浄されてた。何故このような松川
の水でも築堤もし堰も設け水門も建て水利組合も設け利
用せねばならなかったのか科学的文化の発達せざる時代
にあつては何としても飲用水が先決問題で次ぎには田の
灌漑用水更らに防火用水も都住村の住民農本位の生活と
安住は悉くこの松川に依存せねばならなかつたのであ
る。