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項目 内容
ID J1001337
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1810/09/25
和暦 文化七年八月二十七日
綱文 文化七年八月二十七日(一八一〇・九・二五)〔男鹿〕羽前・津軽
書名 〔乾坤相克記〕笹森基亮家文書
本文
[未校訂]笹森氏所蔵の本記録には、表題を欠いて居るが、増訂
大日本地震史料第三巻一八九~一九〇頁所載の乾坤相
克記と同じものである。但し笹森氏の蔵本には始めの
部分がない代りに最後の部分がある。爰には増訂大日
本地震史料に欠けて居る部分の中の一節のみを掲げ
る。
地震も月日増しに穏かならしむ。され共明ける未年四月
中頃まで時々ゆり動くなり、夫れなり地震もならざるな
り。然るに湖水八郎潟の岸瀬上り平地となり六七町ばか
りなり、直によき田地出来る。然るに湖水へ海の水入る
事大地震の砌なり。十四五日はかりの間大河になりて入
る事なり。され共水は満る事もなし。男鹿は浮き上りて
何所へか流れ行へきかと按じけれ共、さして不思議もな
かりけり。扨て其年の秋は蠅一円に不出、地震後は少々
出る。其年の夏より潟の鯔筏なりて死にん流れ寄る。其
年の秋地震まへ浜の鰯網へ青海月壱袋も弐袋も詰る。其
年寒中氷絶へ(註、ず脱カ)、相川村北津村と間の浜へ十
間斗り岸より氷はるなり。竹林の竹も大凡枯れ樹木も枯
れ、鍋釜も割し斗りなり。其後海月は沢山有る年は大震
ゆるとのいひ伝へなり。誠に大地震□る事の不思議やら
神使の御告けも有しなり。依りて古今其例もあるものな
り。其例よくよく考へ目出度年月を送るべし。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 315
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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