[未校訂](佐渡志 九)
享和二年壬戌十一月十五日地震甚し此災に罹る所総て百
六十一村倒れ臥せる家七百卅二傾き壊れたる家千四百廿
三焼たる家三百二十八死する者十九人其余山崩れ谷埋み
田圃道橋池堤の損へること挙記すべからず羽茂郡小木の
湊数十町潟と成り赤泊、沢崎又潮退き石出でゝ国々の船
共皆便を失ふ是に因て官より浚をなさしめられ三年を経
て甲子八月其功終へて復諸国の船湊ふと雖ども人力限り
あれば形勢全くは旧に復し難く又是に付て新に田土を得
たる地もありけり
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項目 | 内容 |
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ID | J1000923 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1802/12/09 |
和暦 | 享和二年十一月十五日 |
綱文 | 享和二年十一月十五日(一八〇二・一二・九)〔佐渡・越後〕 |
書名 | 〔越佐叢書 四〕 |
本文 |
[未校訂](佐渡志 九)
享和二年壬戌十一月十五日地震甚し此災に罹る所総て百 六十一村倒れ臥せる家七百卅二傾き壊れたる家千四百廿 三焼たる家三百二十八死する者十九人其余山崩れ谷埋み 田圃道橋池堤の損へること挙記すべからず羽茂郡小木の 湊数十町潟と成り赤泊、沢崎又潮退き石出でゝ国々の船 共皆便を失ふ是に因て官より浚をなさしめられ三年を経 て甲子八月其功終へて復諸国の船湊ふと雖ども人力限り あれば形勢全くは旧に復し難く又是に付て新に田土を得 たる地もありけり |
出典 | 新収日本地震史料 第4巻 |
ページ | 179 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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