西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J0900508 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28
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和暦 |
宝永四年十月四日 |
綱文 |
宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 |
〔徳島県史四〕
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本文 |
[未校訂]宝永二年(一七〇五)那賀郡大地震津浪。(那賀郡教育 史) 宝永四年(一七〇七)十月四日 紀州沖大地震。地大に 震い、五畿七道におよび有史以来最大の規模とされた。 大潮入り来たりて浪溢れ、沿海の廬舎漂没し人畜多く溺 死、森甚五兵衛に命じて士民を救恤す、宍喰浦では溺死 者十一人、浦中の漁船・漁具・家屋・土蔵までも流失し た。徳島城下でも地裂け人家倒れ、士族屋敷二百三十 戸、民家四百余戸が倒壊、(年表秘録・阿波志・渭水聞 見録・宍喰浦旧記・鞆浦大岩碑文・牟岐町八幡神社の掛 板に宝永地震の記あり)この節大内治右衛門牟岐浦へ罷 越、御用相勤居候処、津波一統人馬共流死の者多候処、 一人山へ立退御役所並御用物津波に引かれ候の時可罷帰 御案内も不致随意に御用先より罷帰り候段不届に付永の 御暇。(牟岐町公民館所蔵記録)
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出典 |
新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ |
408 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
徳島
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市区町村 |
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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